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いくひ誌。【21~30】

※日々おもったことにつれづれとふれるよ。


21:【闇色と無色】
さまざまな色を混ぜあわせると黒くなるようにいろんな人格を持つと何物にも染まることのできない孤独な人間ができあがる(或いは光のように、反射してくれるものがないとそこにいるのかもわからないような文字通り影の薄い人間ができあがる)。


22:【濃淡がだいじ】
おもしろい文章だけ連ねてもおもしろい小説にはならない。濃淡のかたちづくるデコボコにこそ魅力が生じる。ジェットコースターは高低差があるからこそ楽しめる。ねじれがあるとなおいい。ストーリィに限らずこれは文章にも言えることである。


23:【ロボットの人権】
ロボットに意識が宿るか否かという命題は、突き詰めればロボットに人権を与えるか否かという争点に絞られていく(ロボットに意識が宿るか否かをなぜ明確にしなければならないかと言えば、意識の芽生えたロボットに対してどう接すればいいのか、どういった扱いを徹底すればいいのかが、現代の倫理では扱われていないためである)。人権付与反対派の主張としては、「ある目的を以ってつくられた以上、その与えられた使命をこなすのはその存在にとって義務である以上に、存在意義のはずだ」というものがある。たとえばセクシャロイドとしてつくられたロボットに人権を認めれば、性的愛玩具として扱うのは人権に反するという声が当然出てくると予想される。セクシャロイドとして扱うことが規制され、禁止されたとなれば、当然、セクシャロイドとしての存在意義そのものが揺らぐことになる。言い換えれば、セクシャロイドのための声が、セクシャロイドの存在自体を否定する、という本末転倒な展開が予期される。ゆえに、ロボットを不当に扱ってはならないという主張と、ロボットを人間と同等に見做すこと――すなわち人権を与えることは同義ではなく、主張をまとめればロボットに人権は必要ない、となる。この主張に対する反論としては、たとえば奴隷が欲しくて妊娠したとして、生まれてきた子供が奴隷として生きなければならないのか、というものがある。答えはむろん、奴隷として生きる必要はない。だがこれは、子供が人間であり、生まれてきてからさき、奴隷として生きる以外の道がひらけているから言えることであり、セクシャロイドが性的愛玩具として扱われること以外に活動の意味を見いだせない存在だとするならば、それを禁止することはむしろその存在への冒涜、人権があるならば人権の侵害に当たるのではないか、と考えられる。水の中で生きる魚に人権など必要ない。水の中が可哀そうだからといって、陸にあげてはならない。魚の生命を尊重することと、人権は関係ない。いくひしの見解としては、ロボットが単体としてあらゆる人間の生活労働を代替する存在となったとき、初めてロボットに人権が与えられる日がくるのではないかと予想している。ロボットと人間が互いに互いを必要とし、ある種の相互依存が築かれたとき、そこで初めて我々とロボットは対等な存在になるのではないか――と、そのように思うのである。これを社会的な視野ではなく、個人の問題として見た場合、ロボットの性能がどうであれ、相互依存が成立したとき、そこには対等な立場が築かれるように思われてならず、それはロボットに限らず、愛玩動物や人間関係であっても例外ではないように思うのである。結論としては、ロボットに人権を付与する必要はなく、或いは人権の有無にかかわらず、相手にとっての最大限の幸福を考え、その者にとっての自由を侵害しないようにすることがもっともだいじなのではないかと個人的には思うのだが、けっきょくのところそれがもっともむつかしい問題であることは、人類史を紐解くまでもなく明々白々な事実であり、じつに困ったものである。


24:【サングラス】
本当に知らなくちゃならない現実は、知りたくない現実で、知らないほうがいい現実でもあって。目をつぶって過ごせたらどれだけしあわせだろう。たぶん、だから。作家という仕事は、他人の分まで真実を目の当たりにして、他人の分まで苦悩することなんだなって。現実を変換して、受け入れやすい形にデフォルメして。直視しては目がつぶれてしまうから。みんなのサングラスになってあげるんだなって。サングラスだって。かっこわるいね。


25:【閃きの宝庫は空白に眠る】
閃きの優れたひとに共通しているのは知識の分布図が、あり得ないほど広いという点である。もうすこし詳しく言えば、なんでこんなところに点が打ってあるんだろうというところに一つだけぽーんと点が打ってある。平均的な人間における知識の分布図は、円形にちかい。何か興味のある一つのことを核とし、そこから放射線状に薄く広がっていく。知識の過多はその円形の大きさに反映され、博識のひとほど円が広い。けれどもやはりそれらは円形から大きく逸脱することはない。いっぽうで優れた閃きを連発するひとは、この知識の分布図が明らかにイビツなのだ。まるでワープでもしたかのように、まったくどうしてこんなことを知っているのだ、というようなことを、なんの脈絡もなく憶えている。この脈絡のなさというのがキモなのだ。人間の記憶メカニズムは元来、脈絡によって支えられている。脈絡なく何かを記憶することが人間は苦手なのである。しかし脈絡のないはずの点を、つよく憶えてしまう人間がいる。すると脳のほうでかってに、脈絡のないはずの点と点を繋ぎあわせようと無理くりに共通項を探しだし、当てはめようとする仕組みが、構築されていく。閃きとはまさにこの、飛躍を結ぶ過程から派生した、予期せぬ綻びなのである。


26:【剥きだしではなく】
勝ち負けに拘るとだいじなものを失くす。ただしあらゆる勝負を放棄していくと、それはそれでだいじなものを失くす。いざというときのために刃を日々磨いておくくらいがちょうどいい。錆びつかないように鞘があると便利だ。とはいえ、ふつうは刀をこさえるのだけでもたいへんだ。(研ぐのではなく、磨く。さすがに毎日研いだら刃がボロボロになってしまう)


27:【嫌だというか哀しい】
勝ちたいと望むことと、他人の上に立ちたいと望むこと、この違いは大きい。壁を乗り越えたいのか、蟻を踏みつけたいのか、その違いである。極めたいのか見下したいのか――とはいえ、無駄に見下されるのはやはり嫌だな。


28:【世界一の文豪】
「世界一の文豪がいたとするでしょ。たぶんそのひとは日本人ではないと思うし、そのひとが書いた本も外国語だと思うの。で、わたしは日本語以外が読めないので、あいにくとわたしにとってその本は、この世にあってもなくても変わらない、そこらの小石と同じくらいの意味しか持たないものなわけ。だから敢えて言うけど、世界一なんてその程度のものだよ。それよりもわたしは、わたしにとっての本を、わたしのために書かれた本をこそ読みたいと思うわけ。で、あなたはいったい誰に向けてそんなたくさんの文字を、それこそ小説なんてものを書いてるの?」


29:【泥臭い作業】
基本的に小説にしかできないことって今の時代にはもうなくなってしまったんじゃないかって思っていて。言い換えると、小説にしかできないことって、小説で表現した時点ですでに達成されていて、それ以上でもそれ以下でもないんじゃないかって。だからこれからの時代は、小説になかったものをいかに小説で表現するかにかかっていると思うわけで、小説にしかできないこと、ではなく、小説にもできることの幅を意識的に広げていくことがだいじになっていくんじゃないのかって思うのだよ。ただこれは言い方が違うだけであって、けっきょくのところは、小説にしかできないことを求めるのも、小説にもできることを煮詰めていくのも、行き着く先は同じなのではないのかとは、思うわけだけれども。アプローチの仕方がちがうだけで、どちらも小説の幅を広げるという点では繋がっており、小説というツールを研ぎ、磨く、泥臭い作業なのではないかと思うわけなのだよ。


30:「ひがみ」
特定の誰かを特別扱いすることは差別ではない。えこひいきではあるかもしれないが、それをされなかった者が不当に扱われていないならば、そこに生じた不満はひがみでしかない。

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