※日々のなかで無駄に何かを主張せず、慎ましく、おだやかに生きていたい。
581:【あす死んでもいいように】
生きるために死んでいくよりも死ぬために生きるほうが健全なときもある。
582:【あー】
こころが荒んでいる。周囲を見渡すと焦げた臭いの暗幕で、足元には蕾をつけた植物が踏みつぶされている。一本ではない。何本も何本も、ときには束になってつぶれている。押し花にでもなればいいのに花は咲かず、その一歩手前でハンコじみた足跡と打ち解けている。ぼくは裸足で、かかしみたいに地雷原の真ん中で立ち尽くしている。いちど踏みつけたそれらを踏み直し進もうと思えないのは、それらの根がまだ死んではおらず、すこしずつ伸びた葉や茎がぼくに復讐をしようとささくれ立っているからだ。身動きのとれなくなった焦げた臭いの暗幕のなか、ささくれは徐々に線となり面となり、やがては層となってぼくの身体をじぐざぐと刻み、ときに穴を開けていく。こころが荒んでいる。滅んではいない。豊かになるにつれ、ぼくはじぐざぐと欠けていく。
583:【虚構推理&不滅のあなたへ】
原作:城平京さん、作者:片瀬茶柴さんの漫画「虚構推理1~6巻」を読んだ。身がとろけるほどにおもしろい。すごい。上質な原作を天才料理人が調理するとそれは極上の珍味になる。どこにもない、ここだけの贅沢なしろものができあがる。すごい、すごい。モザイク物語と名付けたい。ステンドグラスみたいに色の異なる各種要素がひとつの物語を描きだすのだが、それは飽くまで光が透過することで浮きあがる色彩の連なりであり、けっして枠組みそのものが本質ではない。何より、要素要素の成分率が極めて高度に配分されている。調合をまちがえればどんな薬も毒になる。毒と薬の境目が明確に意識された構成は真似しようとも真似できないセンスに満ちている。エッセンスがきいている。すごい。おもしろい。興奮冷めやらぬままに五分ほど仮眠してからリセットし、大今良時さんの漫画「不滅のあなたへ」三巻を読んだ。あー、あー、こっちもすごい。いくひしがぜったいつくれない物語というか、展開というか、いくひしがまず以って削ってしまう筆頭にあがる要素をここまで旨味豊かに描けるなんて目からうろこが落ちすぎる。物語の圧縮率も目を瞠るばかりで、駆け足なのにぜんぜん駆け足じゃない。展開の速度が光速にちかづけばちかづくほど物語内の濃度は高くなっていく、みたいな物語の相対性理論じみた技術がいくひしの脳内分泌系を過剰に活性化させている。あー、あー、すーごーいーーー。自信失くし期間の延長が確約されましたね、どすこい。
584:【焦っている】
たぶん今、内心すごく焦っているのだと思う。だからちょっとしたことで心が乱れる。焦る必要はない。いくひし、おまえがいくら急ぎ、せかせかしたところで、おまえがなそうとしていることはどうあがいてもあと三十年はかかる。まずは着実に一歩一歩、目のまえのことから片づけていこう。さきは長く、そして死ぬまではあっという間だ。焦るヒマがあるならば進もう。疲れたら歩けばいい、休んでもいい。走りつづける必要はない。そうは言ってもきっとおまえのことだから日々走りつづけるのだろう、止めはしないよ。
585:【ぼんやり】
うっすらとぼんやりと向こう側の世界を感じられる人間が物語をつむぎつづけていくのだろう。じぶんのなかに拡がる暗がりの奥の奥、底の底を突きぬけた先にそれは広がっている。潜ればもぐるほどそれはふしぎと遠ざかり、暗がりに明かりの余韻ばかりを残すようになる。いつか辿り着ければいいなぁ。
586:【アリスと蔵六】
今井哲也さん著の漫画「アリスと蔵六1~7巻」を読んだ。思わず胸に抱き寄せてしまいたくなるほどにいくひしの荒んだこころを浄化してくれる清らかさに溢れている。しかしそれが清らかなのは、本のそとの世界のすべてがすべて清らかではないからで、上手くいえないけれども、人間、否、世界はまだまだ捨てたもんじゃない、もっともっとよくなっていく可能性に満ちている、あーもう、醜さにあるうつくしさもよいけれど、ただただまっすぐに純粋なものも捨てがたい、いい物語です。ありがたい。
587:【もっと】
くだらないことに価値を見出していかなきゃだ。つくっていこう。
588:【階層】
ネット内では様々な情報がそれを必要としている者に受動されやすいようにと塊を形成しはじめている。それは地層や水と油のように明確な層となって段々に区切られている。それを必要としない層にはまったく浸透せず、コアな情報ほど層をいっそう強固なものとして形作っていく。ある種それは固い殻となり兼ねず、根強い情報のはずが、外部からしてみるとまったく無価値なものに映り兼ねない。本来、情報はコアで生なものほど質が高いはずなのに、加工され、希薄になったものでなければ、異なる層へと浸透しにくいという性質を帯びている。これからの時代、情報は、いかにほかの層にも同時に浸透できるかが重要であり、そのためにはいくつかの層へと浸透しやすい要素を端から基盤として備えていなければならなくなる。すなわち多重であり、異種の混合である。AIが様々な層の情報を適度に取捨選択して「私だけの世界」を過不足なく提供してくれるようになるまで、情報はこれからさき「多重」と「異種混合」が不可欠になっていく。予言ではない。現状から分析可能なこれらは不可避の予測である。(そうでなければならないという意味ではない)
589:【私】
私は私を知っているが、私を知っている私についてはあまりよく知らない。いったいどこにいるのかと辺りを見渡してみてもとんと姿は杳としてさっぱりであり、私を知っているなどとなぜそんなことが言えるのかと私は私を知っている私に物申したい。私は私を知っている私を知らないが、私は私を知っている私を知らない私のことは知っている。ではその私はどこにいるのかと問う声には、あなたが探そうとしなければ私はあなたであり、あなたが私であると応じよう。私はあなたを知っている。けれどあなたはあなたを知っている私についてはあまりよく知らない。
590:【再現性】
その日、そのときにしか生まれようのないものをつくりつづけていくのが芸術だ。再現性のないものを違う形で体現していく。常に変化しつづける。反対に、同じものを同じように一定の技量で再現しつづける、これはプロとしては正しいが、芸術としては致命的だ。
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参照:いくひ誌。【201~210】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881966749