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いくひ誌。【201~210】

※日々のいろあいは増し、やがては黒に満ちていく。


201:【マイナス要素】
漫画グレイプニル二巻を読んだ。手放しでは称賛できない。こんなにいくひしの好きな要素が詰まっているのになぜだろう。考えられるとすれば、たぶん、嫉妬だ。なんでじぶんはこれを創る側じゃなかったんだろうという嫉妬はもちろん、なんでじぶんは主人公じゃないんだろう、そこどけ、その場所をよこせ、といった主人公への嫉妬が、素直に物語を感受するよころびを阻害している。主人公に共感しにくいかどうかは関係がない。共感しやすくても、否、共感しやすいからこそ高まる嫉妬だってある。それはどこか失恋に似ている。好きなひとが、じぶんと似たような、しかし明らかに赤の他人とたわむれている様を遠目から眺めているような。胸に走るせつなさが病みつきになるよね。三巻はやく欲しいです。


202:【待って、ちがうから】
いくひしは漫画本や小説をまくらもとに並べてねんねするのが習慣だ。日に日に増していくそれらはやがては柱となり、壁となり、朝の陽ざしを遮るほどにまで成長し、いささか心地よい眠りとは裏腹な性質を醸しだす。だからその日、いくひしはまくらもとの本たちをすこし整理することにした。本棚はすでにいっぱいなので、ベッドしたの収納スペースに仕舞うことにした。ジャンルごとに仕分けしつつ、ひとつ、ふたつ、とお人形さんを寝かしつけるみたいに並べていく。お気に入りはまくらもとに残し、すべてを収納し終えてからふと気づく。あれ? ひょっとして、や、ひょっとしなくとも……BLのほうが、多くね? そう、ついに気づいてしまったのだ。いくひしの蔵書はいま、BL本のほうが多いのだった。待って。ちがうから。そういうアレじゃなくってさ。いくひしはじぶんが発酵しきっている事実をかたくなに認めたくはないのだった。さいきんのおすすめは、ためこう氏の「なつめくんはなんでもしってる」です。


203:【寝てないってば】
森博嗣氏のWシリーズ四作目「デボラ、眠っているのか?」を読んだ。読み終わってしまった。なんてことだ。もうね。おもしろいとかそういうんじゃない。「あ、まじっすか! いいんすか!? あざーす!! あざーす!!! あ、恐縮っす……あ、すんません……わあそうですよね、おっしゃるとおりでございます……あ! でも! や、なんでもないっす……ホントすんません……さすがっす! 握手してもらっていいですか、え、いいんですか!!? やっほほーい!!!」みたいな感じ。わかる? わかってくれる? 仮にこれを森博嗣氏以外がつむいでたらいくひし発狂するよ。わちゃちゃー!ってなるよ。ほわちゃーって手刀抜いちゃうよ、おれでなけりゃ見逃しちゃうよ。巻を増すごとにおもしろくなっていくってすごいよね。それを狙ってやってるってんだからさらにすごい。さすがです。じゃあつぎ、いくひしの番ね☆


204:【ジャン♪】
とんでもない漫画と巡り合ってしまった。たぶん多くの人は、ふうんという感想しか持たない。でもなんか、そう、かわいせつない、かわいせつないなんだよ。どんな漫画かだって? タイトル教えてだって? ダメダメ。教えてあげないよ♪


205:【六十パーセント減退】
現状、外部情報の入力が以前に比べて六十パーセントほど落ちている。基本的に人間の未来予測はビッグデータ解析と同じ原理を伴っており、入力された情報量と質にその精確性は担保される。情報量については子細な説明なくして理解できよう。わんこそばでいう、器の数だ。そして情報の質だが、これは単一の情報がどれだけ真実とかけ離れているかに焦点はなく、同じ事象に対する異なった視点からの観測評価をどれだけ得られるかに依存される。ゆえに質は量によって支えられていると呼べる。以前のいくひしの未来予測の的中率はだいたい六割強といったところだ。七割には届かない。そこからさらに六割以上減退するわけだから、もうほとんど当たらないと言っていい。或いは、半年先程度の短い未来しか、高い精度での予測が困難になったと言い換えてもいいが、ひるがえっては、現状、いくひしの予測は高い確率で外れるのだから、そこに重点を置けば、いくひしの予測に価値がなくなったとはいちがいには言えない。


206:【うっさい】
「なあ、顔あげろよ。あーなんつったらいいのかなぁ。これはあたしなりの持論なんだけどさ――。何かを新しくはじめたとき、最初の三年間でどれだけ成長できたかで、そのひとのその後の「成長率」ってのは決まっちまうんだよな。たいせつなのは、決まるのが「成長できるか否か」ではなく飽くまで「成長率」ってところな。だから最初、才能が1しかないやつが三年後に30になってたら、初めは100あったけど三年後に150にしかなってなかったやつよりもそいつは「成長率」が20倍あるってことになる。言い換えれば、初めはヘタなほうが有利と言えなくもない。ただし傾向として、最初から100あったやつのほうが、1しかないやつよりもその後の成長具合は芳しい。もっといえば、どれだけ成長率が高かろうが、最初からカウンターを破壊するほどの高い才能をもっている相手には、同じ土俵にいるかぎりとうてい適いっこないわけで。もっとも、初めがゼロだったときだけは例外だ。そこには成長率なんてもっともらしい指標はない。ただただ可能性だけが無限に広がっている。そこからはイチだってヒャクだってマンですら、捻りだし放題さ。じゃあそのゼロとかイチとか、最初の才能の値ってどうやって決まるのって話になると思うんだよな。そこ重要。気になるよね。それはさ。最初に目標とした対象との相似比だよ。合同に近ければ近いほど値が高くなっていく。かすりもしなければゼロだ。ゼロとイチは比較的似ているけれど、決定的な差がそこにはある。ヘタなことを嘆くことはないよ。いや、嘆かなければ成長の道は視えないのかもしれない。だからって失望することはないさ。ヘタにはヘタなりのメリットがちゃーんと用意されてるんだからさ。だれが用意してんのかはさっぱりだけど。だからまあ、自分を信じて進めよな――自分のヘタさをさ」


207:【虚栄を剥いだあとの助言】
予測の的中率をあげるだけならば簡単なんだ。当たりそうなことを言えばいい。火を焚けば煙が出るだろうし、氷に触れれば冷たい。実際にそれをせずとも分かることはいくらでもある。本当に重要な予測はいつだって、そんなバカな、と言いたくなるような認めがたいものなんだ。同時に目を逸らしたいものでもある。いいかい。これだけは言わせてくれ。いくひしのような偽物の言葉に惑わされてはいけないよ。自分には特別な何かがあると思いこんでいるやからの戯言ほど耳に毒なものはないのだから。避けたくなる気持ちはわかる。蔑みたくなる気持ちもだ。でも、ぐっと耐えて、そこは憐れんであげてほしい。みな気の毒なコたちなんだ。毒キノコなんだ。素朴に、日陰に、そっと生えているだけならば許してあげてほしい。触れずに見逃してあげてほしい。イクビシからのお願いだ。ぼくからの。


208:【 : )】
Sia - The Greatest


209:【感動】
読んで泣いた漫画は久しぶりだ。僕のヒーローアカデミア。第一話でも泣いたけれど(今読んでも泣く)、最新刊11巻でも泣かされてしまった。愛を打ち負かすほどの生き様。現実を捻じ曲げるほどのわがまま。それはけっしてかっこよいものではない。むしろ無様でかっこわるい。だからこそ、そこに真摯という名のまっすぐな軸が垣間見えたとき、見る者の心を打つものが滲みだすのだろう。本物ゆえの傲慢さがない。偽物だからこそ本物には出せない味がでる。偽物ゆえにホンモノだ。かなわないなぁ。


210:【本音】
イクビシとしての本音をここに綴っておこうと思う。ぼくには何もない。学歴も、友達も、成果も、経験も、栄光も、青春も、お金だって、情熱ですら、夢ですらない。持ってないのではなく、持てないだけかもしれない。それらを抱えるための手さえ、ぼくにはないのだから。何か他人の記憶に留まっておけるような、他人に誇られるようなものは持っていない。何もないがあればいいのだけれど、しかしすくなくともぼくはどうにか生きていけるだけの身体とそして薬に頼らずに済むだけの理性を保てている。持っているというよりもやはりそれは保てていると言うのが正しい形容に思える。なんとか保てている、その場に、立っていられる。或いはこれも、何も持ってないがゆえに、かろうじて、ということかもしれない。いずれにせよ、ぼくは何も持っていないからこそぼくとして今、ここにいる。けれど、そんなぼくにもなけなしの才能がある。持っているのではない。ぼくの足元に芽生えた、名もなき、これは草だ。ぼくのものではない。誰のものでもない。だからぼくはそれに名を与え、かってにぼくの才能だと呼んでいる。ぼくは誰よりもじぶんを表現することに長けている。ぼくよりもぼくの世界を、裡にひろがるがらんどうを表現できる者はいない。それはぼくにある能力ではなく、ぼくの足元に知れず生えていた草が偶然、ぼくの目に留まったから生じたいっときの停滞のようなものだ。ぼくはその草に目を奪われ、歩みを止めている。そのときにできた時間の経過がぼくにある種の夢を視せている。それを錯誤と言い換えてもいい。何かをなしている気がしているが、じつは何もしていない。何も残せてはいない。何もしていないことで得られる怠慢が、退化が、ぼくに錯誤を抱かせる。けれどその錯誤は、才能は、このさき一生、誰からも認められることはない。評価されることはない。必要とされることもないのだろうということすら、ぼくには解っている。ぼくは何も持っていなくて、これからさきも、ぼくはぼくであるかぎり、何も持つことはないのだから。ぼくはここに存在するけれど、世界にとってはいないも同然の存在で、いなくても困らない存在で、きっとそれゆえにぼくはいつまでも尊大でいられる。ぼくはいつだって足元に芽生えたこの名もなき草を踏みつけてしまいたい衝動と闘っている。愛でれば愛でるほど、ぼくはそれを損ないたい。きっといまはまだそのときではない。もっともうつくしく花咲いたとき、ぼくはそれをつまらない顔をしながらつまらない所作で、あくびをしながら踏みにじるのだろう。ぼくのなかのがらんどうがそれを望んでいる。ぼくはいつだって、無関心に愛を踏みにじることに、とんでもなく生きているという実感を覚えるのだから。そんなぼくを、いくひしはとても嫌っている。いくひしはね、そう、ぼくが嫌いなんだ。そんないくひしをぼくは嫌いになれない。そんないくひしだから、ぼくはあのコたちに、ぼくには持てない、あれやこれやを持たせてあげたいと望んでいるのかもしれない。期待、しているのかもしれない。愛してはいない。そういうことに今はしておく。とても卑しいと思う。とてもとても。けれど、そんなぼくが、ぼくは、それほど嫌いじゃないんだ。ふしぎとね。

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