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いくひ誌。【191~200】

※ひびくこえのするほうへ、おとなるほうへ、いざなわれるふあんとこうきと、きょだつするにくたいの、ほろほろとくずれさるさいぼうをむすびつけていたのは、きょうよりもあすを、きのうよりもきょうをと、がんじがらめにカラをぬぎすててはうつろになっていくだけの、かたいかたい、さついいろをした、みじゅくへのしゅうちゃく、おとなへのはんぱつ、ニヒルをえにするような、じがをむしばむ、いまへのひてい、いまから「つくろう」じまえの遺影。


191:【ぽっかり】
ぽっかりとうっかりは似ている。緊張し、結びついていた意識にあいた間隙が、うっかりという名の見落としを引き起こす。注意不足というよりも注意が根こそぎ断絶された状態が、うっかりなのだ。そこには必ず、ぽっかりと空いた意識の穴があり、それはそれは卑猥な造形をしていることだろう。卑猥なものに、ひとは目を奪われる。意識はそこへと落ちていく。


192:【これはとってもエッチで賞】
ちょびっとくらいえっちなこと言っとかないとせっかく立てたキャラが萎えるので、2016年10月19日げんざいで、いくひしがもっともつぎの作品を待ち遠しく思っている成人向け漫画家さんは、どぅるるるるるるるるるるるるるるるるるるる、ダダン!(ぱっ) 「ディビ」さんです。おめでとうございます!


193:【みゃー】
にゃーにゃー。にゃーにゃーにゃー。ねこさんが言いました。くーん、くーん。するといぬさんが尻尾を股のあいだに挟みます。にゃーにゃー、なーごなーご。ねこさんはさらに言いました。くーん。いぬさんはこうべを垂らします。くるーぽ、くるーぽ。そこへハトさんがやってきました。ニャー! ねこさんはついつい飛びついてしまいます。うー、わんわん! とっさにハトさんを庇うイヌさんにおどろき、ねこさんは尻尾をあげて飛び退きます。わんわん、わんわんわん。いぬさんはねこさんを叱りつけました。ねこさんは背筋を伸ばし、ちょこんと座ります。しばらくいぬさんのお説教に耳を傾けていましたが、ついついあくびをしてしまいます。くーん。いぬさんはしょんぼりです。気づくとハトさんはいつの間にか飛び去っており、一部始終を目撃していたいくひしさんは、木の幹にしがみつきながら、いくひし、いくひし、と笑うのです。キミ。警察官が言いました。おりてきなさい。


194:【バリトゥード】
ネイムバリューは基本的に副次的に生じるものである。あのひとは別格だ、と特別扱いしたくなる成果を残すからそうなるのであり、それはナニゴトカを提供する側がかってに幻影(つくりだ)してよいものではない。受容者たちの手によって形成されていく共通認識――それはモヤモヤとした、手で掴もうとするとスルスル零れ落ちていくような最初はものなのだが――ある閾を越え、結晶化することで、偶像としてのカタチをとる。人工的にこれをつくりだすというのは、宝石の偽物をつくるのと大差ない。偶像をでっちあげさえすればアイツらは釣れる。そう考え、実践した時点で、それは受容者をみくだしている。餌にしていると言い換えてもいい。偶像を疑似餌にしてはいけない。神とはつくられるものである。名乗りでた時点で、それは詐欺師と同義である。名乗りでるならばせめて、詐欺師ではなくマジシャンでありたいものである。閑話休題。流行り廃りがくるくると目まぐるしく入れ替わるとき、それは急速な成長、ときに進化を引き起こしている。赤ちゃんの新陳代謝がおとなのそれと比べてせわしないのと同じだ。がん細胞になりたくなくば、姑息な手で生き残ろうとしてはいけない。自然淘汰という名の熾烈な競争原理を生き残れ。


195:【波紋】
表現者にできることは、てごろな小石を見繕い、池にぽちゃんと投げ込むくらいのことである。なぜそうするかの動機は表現者によってまちまちだろう。ある者はより大きな波紋を生みだしたいのかもしれず、またある者は池を小石でいっぱいにしたいのかもしれない。或いは池に落ちるときに立てる小石の音が好きなだけかもしれないし、ただ単にゴミ捨て場の代わりにしているだけかもしれない。ひょっとしたら池そのものには興味がなく、水面に浮かぶ枯葉に小石を当てたいだけかもしれない。いずれにせよ、表現者にできることはその程度の素朴な干渉であり、池に対して何か有益ななにかしらをもたらせるわけではない。ただし、投げ込んだ小石が池の底にたまり、池に住まう生物のよき住処になるかもしれない。或いは小石にむした苔を食して生きながらえる生物もあるかもわからない。ただしそれは偶然そうなっているだけのことであり、小石を投げ込む行為になんらかの意味が――池にとって不可欠な意味合いが――あるわけではない。ならばなぜそれをするのか、と目的を問いたくなる気持ちがわからないわけではない。魚釣りのほうがよっぽど楽しいだろうに、なぜ。もっともな疑問である。しかし、わかんないんですと小首をかしげながら、それでも小石を投げ込む手を止めない。表現者の背負う業である。なんかあれだよね。おくすりだしときますね、的な。それともなんらかのオクスリ的なあれが、小石を投げ込む行為なのかもわからんね。ふむふむ。


196:【いくひし、あまえんぼうになる】
「よお、なにしてんだこんなとこで」「なんだぁ、あんたか」「なんだとはごあいさつだな、そっち詰めろよ」「ん」「おいしょっと。さいきん調子どうよ」「どうもこうもないよ。あいかわらずシケったれたまいにちだぜ」「はは、腐ってんな」「そっちこそどうなの。なんかキゲンいいみたいだけど」「よかないさ。ただまあ、自分よりダメなやつ見るとすこしだけ自分がまともに思えてくるだろ。あたし今それ」「ふうん。いったいどこで見かけたのかしんないけどそれ、鏡だよ」「ちげぇよ?」「ついにじぶんのかおもわすれちゃったかー」「ちがうからな?」「もしかして死にかけのコーロギだったりしない、その見かけたのって」「なんでだよ」「ねえ思いだして――じぶんが人間だってこと」「おまえだよ! あたしはおまえを見かけたからごきげんなの!」「あらやだ、照れる」「そういうこっちゃねぇ!」「あ、すみませんうるさくしちゃって。ほらー、にらまれちゃったじゃん、むだにわめくから」「誰のせいだ、誰の」「はぁあ。あまえたい」「お、おう」「だからね、あまえたいの」「どっからどう繋がっての【だから】なのかがさっぱりなんだが、これだけは言わせてくれ。脈絡つくろ?」「そうだよね、あまえたいよね」「うん。聞いてた?」「だれかいくひしのあたまよちよちちて」「誰かって誰だよいねーよそんなやつ」「ちて……」「な、なんだよ」「よちよちちて」「だからなんでこっち見た?」「だれか……よちよち」「やらねーよ?」「よちよちちて!」「ばっ、うるせえよ」「もう、なんでやってくれないの! いじわる! 母性皆無! すけべ!」「さいご関係ねーじゃん叫ぶなって」「もうこうなったら!」「んだよ」「よちよちしてやる!」「逆にかよ。触んなよ」「よちよち」「だから触んなって」「よちよち」「わーった。わーったからやめろ。してやるから、してやるから、な? もう黙れ」「やった」「変わり身はやすぎだろ、正座すんな」「ちゅぱちゅぱ」「親指舐めるのやめなさい」「ママー」「誰がママだ誰が。そろそろ本気でキモいんだが」「よちよちちて」「はぁ……ったく……やりゃいいんだろやりゃ。ヨチヨチ」「もっと」「ヨチヨチ、ヨチヨチ」「もっと感情籠めて、聖母マリワットになりきって」「誰だよ」「女王がダメなら女神になればいいじゃない」「まざってるまざってる」「茶々いれないで、はやくよちよちちて」「はいはい。ヨチヨチ、イイコデスネ」「ダメ、なってない、そんなのよちよちじゃない、はァ真面目にやってよ……ちゅぱちゅぱ……あんたよちよち舐めてんの」「親指しゃぶるのやめなさい」「だっておっぱい吸わてくれないから」「お小遣いくれないから万引きしましたみたいな自己正当化に特化したJKみたいに言ってくれるな、当然だバカめ」「おっぱい……」「やるわけないからな?」「ママー」「誰がママだ誰が。いいかげん付き合いきれないから。周囲の視線が痛いから」「ばぶー。いくひし、むつかしいはなし、わかんない」「ごめんその顔すげームカつく」「うー、もう、だれでもいいからよちよちちて! いいこいいこして! あまやかして! おっぱい吸わせろ、だっこしてほおずりしてお金くれ!」「さいご関係ねーじゃん」「あーまーえー、た!い!の!」「知らんがな」「あまえたい!あまえたい!あまえたい!あまえたい! こうなったら!」「んだよ」「あまやかしてやる!」「逆にかよ。なんでだよ」「よちよち」「だから触んなって」「よちよち、いいこいいこ」「だからやめ……あれ……意外と」「いいんだよ、だいじょうぶ。よちよち。ふふ、いいこいいこ」「思ったより……」「とろけた顔してる。かわいい。いいんだよ。もっときもちよくなって。ここかな? ここがいいんだね。いいよ、もっとしてあげる、いっぱいよちよちしましょうねー」「なんか! めっちゃエロい!」「よちよちしてるだけだよ?」「言い方がすげーやらしい。やべーよそれ。なあおい、おまえどうしたよ。なにこっそりびっくり奥義身に着けてんだよ、ホンキでバブーとか言いそうになっちゃったじゃねーか」「なんでダメなの?」「あ、これマジなやつだ」「赤ちゃんになるの、ダメ? 甘えるだけだよ? 誰も傷つかないよ?」「プライドはズタズタなんですが」「ぷらいど???」「あ、これないやつだ、砕け散っちゃったやつだ」「でも思うでしょ。よちよちはすごいって。してよし、されてよし。ええとこどりの攻守最強癒し系洗脳ツールだよね」「ツールではねーよ」「おねショタが魅力高いのもうなづけるってもんだ」「おまえそれ言いたかっただけだろ、前フリ長すぎんだよ、途中で他人のフリしたくなっちゃったよ、危うくバブーとか言いそうになっちゃったよ」「ダメなの?」「あ、これめんどくさくなるやつだ、ラチ明かないやつだ、空転するやつだ、でんぐりがえっちゃうやつだ」「よちよち」「だから触んな!」「よちよち、ちゅぱちゅぱ」「親指しゃぶるのやめなさい」――暗転――「あ、はじまるね」「ようやくかよ、もはや観る前から疲れたわ」「コレおもしろいから期待してて」「観てから言えよ」「きょうで三回目なんだ」「観たのかよ」「究極の甘えん坊が怒りに任せて暴れ回る映画。タイトル言える?」「バカにしてんのか。甘えん坊、怒りのデスロードだろ」「映画のクライマックスでね、主人公が【えいとこどりやーん】って叫ぶの」「それロッキー。べつの映画やん」「すんごいどんでん返しがあってね」「ネタばれ? いましなきゃダメかなーこの会話」「ヒロインを助けるために主人公、雨が降ったあとのおっきな水溜りをスイスイ泳いで渡って」「アメンボじゃねーか」「さいご、主人公、ほんと足腰立たなくって、身体を引きずるようにしながら前にすすむの。ヒロインのために。寿司屋を」「寿司屋かよ。せめてそこは荒野がよかったなー」「寿司屋って言ってもただの寿司屋じゃないよ。宇宙人の寿司屋なの」「わあ、すごい、つまんなそ」「で、さいごのさいご、クライマックスでヒロインが、どうやってここまで来たのって感動する場面があって」「あ、ヤな予感する」「だって主人公、ホントに足腰立たなくって、ふつうに歩けないんだよ」「ちょっと耳ふさいどこ」「で、主人公、ヒロインをまえにして、ここぞとばかりにこう言うの」「あわわわー聞こえなーい」「歩いてきたさ、よちよちとねって」「クソ、聞こえちまった」「げんじつはそんなに甘くないってちゅぱちゅぱ」「親指しゃぶるのやめなさい」


197:【きょうのハイライト】
2016年10月24日。朝のちょっとした時間に西尾維新氏の美少年シリーズ「パノラマ島美談」を読んでいたのだけれど、その一節、『美しい癖に、可愛くねー奴らだな』を目にして以降、ことあるごとに思いだしては口元がくねくねしてしまって不審者に見られないよう取り繕うのに苦労した。今のところ前作、すなわちシリーズ第四作目にあたる「押絵と旅する美少年」がもっとも主人公が瞳島眉美らしい語り草に感じた。言い換えるならば、西尾維新氏の作品ではなく、瞳島眉美が物を語っているように感じたのであるが、だからどうしたと問われると弱ってしまう。いずれにせよ、美少年シリーズ、巻を増すごとに愛着が増しているいくひしなのであった。まる。


198:【マリファナを吸った神さまの有様は、足ざまに言うと麻痺だな】
大麻は単純所持および他者への譲渡が法律で禁止されているだけであり、煙の吸引自体は裁かれるに値する罪であると定められているわけではない。ゆえに大麻所持者の所在を曖昧にして行われる大麻パーティなどがまかりとおる。また、大麻の種子は発芽させてさえいなければ所持していてなんら法に触れることはない。海外から輸入し、自宅で、或いはどこかの山中で栽培するといった話も別段珍しい話ではなく、もっと言ってしまえば、野生の大麻の群生している森林に出向き、「たまたま」煙草の火が燃え移り、「たまたま」辺りに充満した煙を吸ってハイになる、なんて遊びをしている登山者もいないわけではない。大麻の有害性については、大麻の所持が禁じられている現状、日本ではその研究自体を盛んに行えないため、明確にこれといった結論がだされていない。ところで、大麻解禁派の主張にはいちがいに無下にはできない理屈が用意されている。一理ある、というやつだ。反して、大麻規制派は、その一理ある、に対しての論理武装が少々お粗末だと言える。主張の裏にいかような本懐が隠されていようと、出された理屈には、理屈で反論せねばなるまい。現状、大麻解禁派の理屈のほうに天秤は傾いているように見受けられる。これからさき、大麻の是非をめぐる問題をはじめ、危険ドラッグによる社会汚染、そして、アルコール、煙草、カフェインなど、いまこのとき薬物であると認識されることなく有り触れている薬物に関する問題までもがつぎつぎと浮き彫りになっていくはずだ。人体への害、経済への貢献、社会との親和性、文化的背景、外交問題と、様々な要因が複雑にからみあっているこれら諸問題を、過去に起きた原発事故のときのように、或いは歴史上、さまざまな場所で経てきた宗教問題のように、脊髄反射で決断をくだすと、手酷いしっぺ返しをうけるのではないか、といくひしは今から気が気ではないかというと、べつにそうというほどでもない。禁止されていようと摂取するやつはするし、しないやつはたとえ国が認可しようとしないままだ。どちらがよいという話ではなく、そのときどきでどちらがより劣悪かという問題があるだけだ。往々にして人間社会のさまざまな隘路における本質的な問題とは、いつだって法とはまたべつのところにある。が、是正されて然るべきことは、正当な段取りを踏んだうえで是正されていくべきだろうとは思う。我々は少々というか、おおいに、「今」を基準に正しさを決めすぎてはいないだろうか。今をせいいっぱい生き抜くことはたいせつだ。しかし、我々は今を生きるために生きているのだろうか。人間と獣の差異はそこにはないように思う(むろん「今」あってこその「未来」ではある。「未来」のためだけに生きるのもまた生き方として歪んで映る)。さいごに。薬物の問題とは、肉体的、或いは精神的に害があると確認されていることにその因の根っこが見てとれる。脳内の報酬系へじかに作用を働かせてしまうのが悪因の一つであるのだが、より手軽に、より過剰に、そして安全に脳内分泌系を操作できたならば、それは人類にとっての一つの革新ではないだろうか。現在、薬物でないにしろ、それと同等の原理で人々を夢中にし、瞬間瞬間の突発的な至福の時を提供している媒体が社会のそこかしこには溢れている。果たしてそれと薬物とのあいだにはいかほどの差異があるというのか。直接脳内に働きかけるか、そうでないかの違いがあるだけのように感じるが、そこに圧倒的な差異があるのだろうか。それとも直接か否かが問題の焦点なのだろうか。しかし、考えてもみれば、いかに過程を省き、どれだけ手早く結果だけを抽出できるかを追求することこそが、人類の発展の意味ではなかったか。薬物乱用はしないほうがよいことである。作為的に社会に蔓延させるのも善ではない。しかし、現象として同様の結果を引き起こしている事象は数多い。このさき薬物摂取による肉体的精神的有害性は、科学の進歩と共に、低下の一途をたどるようになる。また、薬物以外の媒体で以って、手軽に脳内の報酬系をいじれるようになる時代が間もなくやってくる。現在社会に漂っている漠然とした倫理観では、そのときに訪れるだろう人としての在り方、そして生き方が、根本から揺るがされかねないのではないか、と、今から気が気ではないかと問われればそうというほどでもない。いくひしは「今」を噛みしめるのでせいいっぱい。未来のことなんて気にしている余裕はないのである。まったくもって麻痺している。まるで薬物にとりつかれた人間のようだ。たいへんよろしくない兆候である。


199:【その意見には反対です。失敗する公算が高いと感じます。しかし、だからこそあなたが進まねばならぬ道なのでしょう。ぼくはぼくの道を「いき」ます。あなたはあなたの道を行けばいい。十年後、どちらが立っていられるか見ものですね】
いまの時代、広く世に知れ渡った作品にかぎって言及すれば、インターネット検索エンジンで、「××ってどんな話?」と訊ねればものの三秒で、それこそ三行という短さで要約されたあらすじが読めてしまう。ミステリーなら、「××のオチは?」と打てば、自力で物語を読み解かずとも(同等ではないにしろ)本を読んだのと似た満足感を得ることができる。謎を軸に物語を展開することへの疑念はここにあり、個人的にはだから、三行で言い表せるストーリィがよいとされてきたこれまでの出版業界の通説にはここいらで一石どころか岩石を投じたい。いまの世の中、求められているのは「おもしろい物語」だ。そしておもしろさが確約されているならば、人々は、ネット上に転がるお手軽なあらすじよりも、「なんだかわからないがおもしろいもの」を選ぶ。SNSなどでクチコミされる物語に共通しているのは、おもしろさを伝えたいけれど、どう伝えればいいのかはっきりと分からない物語だという点だ。単純に、おもしろかったーという感動を伝えたいだけの感想もあれば、私はここをおもしろいと思ったね、それに気づいたやつ、私以外いる? と誰にともなく挑発したがっている感想もある。いずれにせよ、おもしろかったよ、というところ以外、おのおので強調する見どころが違っている。解釈が違うという次元ではなく、見る者によってそれそのもののジャンル自体が変わってしまっているようなものが、いま、世に広く受け入れられているように感じる。否、受け入れられてはいない。必要とされているのだ。コアなファンは、コアになった時点で十年の寿命である。十年後のコアなファンは、今はまだにわかであり、ひょっとすればファンにさえなっていないかもしれない。いくひしは、虚構が好きなひとへ、ではなく、それを必要としているが、しかしまだ触れたことのないひとへ向けて物語を紡ぎたい。かつてのいくひしがそうであったように。今、ここにいる人々へ、ではなく、いずれこれを必要とするだろうあなたに向けて、いくひしは物語を紡いでいくよ。かつてのいくひしがそうしてもらっていたのと同じように(2016年10月29日)。――追伸。寄り道をすることもあります。回り道の好きな性分なのかもしれません。ひょっとしたら、ですから、またどこかであいまみえる機会が訪れるかもしれませんね。


200:【報酬と対価、芳醇な退化】
磁界操作技術の向上により、脳内の報酬系を外部からいじることが可能になって十余年が経つ。個々人の嗜好に合わせた才能を後天的に付与する技術が確立され、誰であっても尋常ならざる特質を発現できるようになった。世は空前の天才ブームを迎えている。天才とはすなわち、常人よりも遥かに優れた集中力を発揮する者を指す。ただ集中すればよいわけでなく、いつまでもその集中を途切れさせないのが肝要だ。夢中に夢中になるとでもいうような、ウロボロスがごとき執着、一点集中を地で描く者が天才と呼ぶにふさわしい成果を築き上げる。けっして成果が先ではない。天才とは、なにごとかを成す前からすでに天才なのである。磁界操作技術は、ワイヤレスイヤホンのような端末機器としてその技術が結晶している。装着しているあいだ、脳内の報酬系を司る部位に一定の磁界を展開し、さながら覚醒剤を摂取したのに似た効用を発揮する。それを高揚と言い換えてもいい。薬物と異なる点は、後遺症のいっさいが残らない点である。薬物乱用につきまとう依存症や禁断症状とはいっさい無縁であることをここに宣言しよう。原理は単純で、脳内物質を介することなく、磁界の変化による電磁誘導が微弱な誘導電流を脳内に発生させ、それが脳内の報酬系をじかに活性化させる。これにより、薬物やギャンブル依存症にみられる、脳内報酬系内における神経伝達物質の過剰分泌による慢性的な快感への麻痺、および、外部刺激への知覚鈍化作用が抑えられる。依存症は、過剰に分泌させる神経伝達物質、脳内麻薬に耐性ができてしまうことにより引き起こされるが、その脳内麻薬を介さずに行われる脳内報酬系の活性化は、依存症発症のメカニズムを原理上持たない。任意の行動をとったときにのみ快感を覚える。そのように端末を設定することで、苦痛と感じてしかるべき修行や訓練、反復作業による技術の習得をより効率的に行えるようになる。自慰に浸る猿がごとき無我夢中さを発揮できるわけだが、しかし、天才とは多くの非凡な下々によって天才足り得る。誰もが天才になった世界からは逆説的ではあるが天才と呼ばれる規格外の個体は消えたように観測された――一見すれば。才能開花端末は、適用者の作業能率を最大限に高める。重要なのは、高まるのが飽くまで作業能率であり、言い換えるならば欠点を克服しようとするチカラの増幅である。一万時間の法則にあるとおり、人は、純度の高い訓練をすればするほど習得する技術を洗練させていくことができる。短期間でどれだけ集中して高い水準の訓練をこなせるかが才能の正体だとすれば、才能開花端末の普及は、そのまま天才の量産化を可能とする考えに是非を挟む余地はない。ともあれ、それは真実に天才が完全無比の存在であるとしたらの話である。才能開花端末はバグを取り除くことに特化した技術だ。だがそのじつ、天才とはある種のバグがある閾値を越えて一個体に偏って編成されたけっかに生じる秩序を持たない回路を示すのだとすれば、才能開花端末の普及は、社会から天才を抹消してしまう皮肉を伴っていると評価をくだすのにいささかの逡巡の間を挟む余地があろうか。大勢の天才をつくりだすことで、却って真の天才から才能を奪ってしまう本末転倒を地で描いたけっかがつきまとう。しかしそれを確かめる術はない。才能開花端末は、幼いころから親の意思により半ば強制的に適用される。真の天才が天才でなくなってしまったのか否か、その子が真の天才だったのか否かは、誰にも観測しようのないことである。才能開花端末は、二度、天才に死を誘致する。

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