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「鬼恋硝子の業結び」完結しました&設定裏話・一

 十月から連載していました「鬼恋硝子の業結び」、完結しました。最後まで読んで下さった皆様、お付き合いいただきありがとうございました。

 この話を書くきっかけになったのは、宮下愚弟さんの「書きだし小説、書いてみませんか?」という作品の一編「硝子玉之中之恋」を読んだことです。想像力をかきたてられて書き始めたのはいいものの上手くいかず、お題を諦めて自由に書こうとしてまた唸っていたところ、恋愛コンテスト開催の知らせが入ったので、開き直って女子高生の和風ファンタジーなラノベに路線変更してみました。社内恋愛どこいった。


 タイトルは、音の響きを重視して決定。「恋」と「来い」をかけまして、「縁結び」では普通すぎるのでちと捻ってみました。
 人生初の一人称は、実に難しかったです。そして恋愛……少女漫画を栄養ドリンクにしましたが、前半で力尽きてしまった……私にオール恋愛なんて無理だったんだ…………。


 物語の核となる鬼伝説は創作ですが、登場する鬼二匹は、役行者、あるいは役小角が使役したという前鬼(斧持つ男鬼)・後鬼(水瓶持つ女鬼)がモデルです。奈良県・生駒山地に棲み人を食らっていたところ役行者に調伏され、以後彼に付き従うようになった――――といわれ、その後、二匹は五人の子をもうけ、吉野の下北山村もしくは天川村へ移り住んだとか。その子孫は「五鬼(ごき)」がつく姓を名乗って代々宿坊を営み、現在も五鬼助(ごきじょ)家の方が、大峰山を訪れる人々をもてなしているそうです。

 補足すると、この役行者は奈良時代、奈良県御所市に所領があった賀茂氏出身の人物で、修験道の開祖とされ、全国各地の修験道の修行場な山岳地帯に逸話があります。奈良・葛城山に座す一言主神をもこき使おうとしたために神の怒りを買い、僻地へ島流しに遭った――――とか。その後の消息については色々言い伝えられているみたいです。
 さらに付け加えると、安倍晴明の師といわれる賀茂忠行・保憲父子も、この大和国系賀茂氏の流れ。賀茂社で祭司を務める山城国系の賀茂氏(鴨長明とか賀茂真淵とか)は別系統らしいです。が、文献によって氏族の由来は様々に書かれていて、本当のところはよくわからないみたいですね。Wiki以外で調べてみても、書いていることがばらばらでわけがわかりませんでした。まあその分、使い勝手がいいのですが。


 ・この地区
 適当な名前が思いつかないので、ぼかしました。下手に鬼がつく地名にすると、某ネット発小説と被りますしねー。
 イメージとしては、四方を深い山々に囲まれ、川が流れる典型的な山間部の田舎。節分行事は、奈良県天川村に伝わるものが元ネタ。天川村にある弁財天社の宮司の家には鬼の末裔という伝承があるので、先祖をお迎えするのだそうです。

 ・『夢硝子』
 社内恋愛の次に思い浮かんだ、「惚れた男からひどい仕打ちをうけて自殺した村娘を哀れみ、女店主が男に罰を与える不思議な硝子細工店」という設定の名残です。そっちでも簪はキーアイテムだったので、そのまま流用。簪は色々と使えて便利だ―。

 ・『茨木書店』
 渡辺さんに腕を切られた美人鬼が元ネタというのは、お察しのとおり。『しき』と読むのは、『いばらき』だとそのまますぎるからということで捻ってみました。日本語万歳。

 ・大太刀
 モデルは、和歌山市の正住寺が所蔵する‘蓮井の太刀’。紀州徳川藩初代藩主・徳川頼宣お抱えの力士だった蓮井象之介鬼勝(2m超の巨人だったと文献に伝わる)が寄進した一振でして、180cmもあります。寄進用の大太刀なので、特異な長さというわけではないのでしょうが……生で見ると、なかなかに迫力がありますよ。

 ・穂架
 収穫した稲穂を掛けておくアレ。地域によって「ほか」「ほざ」「はざ」など様々な呼び方があり、素材や形も多様みたいですね。竹だったり木だったり。寝かせて支柱で支えた棒に並べたり、立てた棒に吊るしたり。
 しかし、吉野のほうであの呼び方をするのかは不明……。

 ・因と果と業
 種を植えたら(因)、花が咲く(果)。これが因と果の関係で、業はとりわけ、この果が生をまたいで悪いものとして現れる場合を指す……というのが、福武国語辞典やとある原始仏教信者のサイトでの説明。でも『特にってことは他でも当てはまるよね』ってことで、都合良く解釈させてもらうことにしました。

 物事や生き物は互いに影響しあっていて、自分やその要素だけでは存在しえない。同時に、自分が成したことは自分に返ってくる――――という因果(業)の考え方は、仏教以前のインドですでにあったものだそうです。
 釈迦の教えもこれを前提、というより根底に説かれているようでして、私が見た二つの原始仏教系団体の公式サイトでは、因果は仏教そのものである、とさえ説明していました。

 長々と解説しましたが、要するに原始仏教は『因に応じた果が報いられる』という価値観を多分に含んだ教えなわけです。同時に、不条理が世に満ちあふれていることを認めた上で、よりよい生き方、心の在り方をしようと説いてもいる。ぶっちゃけ、単なる生き方講座なだけな気がします。

 ちなみに縁は、主因以外で結果に結びつく要素のこと。つまりは原因・理由の一つ。花の例でいくと、種を育てる適度な水や肥料、光なんかがこれに当たります。



 長くなったので、登場人物紹介は次に回します。

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