はじめまして、もしくは、こんにちは。
郷倉四季です。
さきほどまで、友人と映画を観て近所の映画館でお酒を飲んでいました。
なんなら、今もお酒を飲んでいます。
友人のオススメしてくれた「レモンサワーの素」というボトルを購入し、氷と炭酸水でそれを割って飲んでいます。
最高に上手いっす。
半分ほど酔っ払っていますが、いつも通りの文章で進んでいきたいと思います。
「あの海に落ちた月に触れる」にレビューをいただきました。
夷也荊さん、ありがとうございます。
これまた無許可ですが、素敵なレビューですので引用させてください。
【大人と子供の間で、揺れる。】
主人公は、まるで溯上をしようとしない魚のような雰囲気があった。
小説の主人公と言えば、人間関係が苦手で、不器用な人を思い浮かべるが、この主人公はまるで泳ぎ方を知っているみたいに流れを行く。
それはスクールカウンセラーの女性の言葉に、よく表れている。この女性は主人公の兄の元彼女だ。
主人公が人間関係を巧くやっていく分、主人公を取り巻く登場人物たちは、不器用さがある。
ゲームをやりながら主人公を待つ、不登校の少女。短命だが能力に勝る兄貴。その彼女。病院から決まって金曜日に逃げ出す少女。
きっと皆、神様を探して生きている。
自分の思い浮かべる、神様を――。
青春の生と性の中でもがく様が、主人公の目を通して綴られていく。
是非、御一読下さい。
夷也荊さん、本当にありがとうございます。
――きっと皆、神様を探して生きている。
自分の思い浮かべる、神様を――。
というくだりで、なるほどと思いました。
レビューの前半で書いて下さっているのは主人公、行人の器用さです。
彼はとても器用に、あるいは達観した人間として僕は描いたように思います。
全てが分かっている。
そんなスタイルが透けて見える行人が唯一、盲信して見ることができなかった女の子こそ「西野秋穂」というお姫様でした。
多分、そういう物語が「あの海に落ちた月に触れる」だったのだと思います。
そんな行人の達観が意味を成さなくなる物語が「南風に背中を押されて触れる」なのではないか、とぼんやり思った時、前回の「切り株ねむこ」さんが仰っていただいたように、
「拳銃と月曜日のフラグメント」「南風に背中を押されて触れる」と読んで下さると嬉しいな、と思います。
読んでくだされば分かることですが、「神様」を思い浮かべる意味が「南風に背中を押されて触れる」のオチに直結します。
そういう意味では、夷也荊さんは僕の根本にあるテーマを非常に的確に表して下さっているのかも知れません。
さて、少々酔っ払っている、という自覚のもと本日の近況を書かせていただきます。
今日は、「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」を観に行きました。前の職場の人間というか、友人と僕の住む近所の映画館で待ち合わせをして一緒に観ました。
19時過ぎからの上映だった為、夕方近くから二人で酒を飲んで、あーだーこーだと近況を喋りました。なんとなく、それだけでもう今日は満足だなぁ、という気持ちにはなりましたが、しっかりと「スパイダーマン」も観ました。
今回の「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」は、アベンジャーズのシリーズにおいて、一つの特異点となります。
というのも、「アベンジャーズ/エンドゲーム」の正当な続編なのですから。
僕は酔っ払っている勢いで、アベンジャーズのネタバレ全開の話をしたいと思っています。
ネタバレは困る方は、速やかにこのページを閉じて頂きたいと思います。
さて、忠告はした訳ですし。
良いですよね?
ネタバレ的なことをしても。
エンドゲームを経た「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」を一言で表すのなら、「トニースターク対スパイダーマン」でした。
アイアンマン対スパイダーマンではない、という点が最高に熱い展開でした。
更に、一番最初のマーベル映画アイアンマンの「私がアイアンマン」をこういう形で反復するか、という驚きがありました。
いや、それ以前に「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」の予告映像の七割が嘘じゃねーか! あ、いや、嘘はついていないのか? ちくしょう。
上手く騙してくださいましたよ、本当に。
という気分です。
インフィニティ―・ウォー辺りから、マーベルは予告映像で騙す技術を確立し過ぎじゃありませんかね?
マーベル映画からは本当に学ぶべきことが多々あるな、と思う一日でした。
あと今日、一緒に観た前の職場の人間というか、友人に、このアカウントを教えました。前の職場関係で言うと二人目となります。
ここを、その友人が読むかどうかは分かりませんが、やや緊張する部分でもあります。
勝手な気持ちをここでつらつら書くとするなら、僕のアカウントの小説なりエッセイを読んで、彼はどう思うんだろう。
そういう興味が少しあります。
変なことを書いていても、スルーで本当にお願い致します。