はじめまして、もしくは、こんにちは。
郷倉四季です。
「あの海に落ちた月に触れる」にレビューをいただきました。
それも僕の他作品を読んでくださっている切り株ねむこさんに。
以前、僕は切り株ねむこさんに足を向けて眠れません、と書いた記憶がありますが、
今回のことで眠る前にねむこさんがいらっしゃるだろう方向に祈りをして眠りたいと思っています。
本当に素晴らしいレビューですので、相変わらずの無許可ですが紹介させてください。
【思春期の軽薄さとは潔癖さの裏返しなのかもしれません。】
私はたまたま「眠る少女」「拳銃と月曜日のフラグメント」「南風に背中を押されて触れる」という順番の後で、この作品を読みました。
「南風に背中を押されて触れる」は
まだ連載中です。
登場人物の今と過去を知る事が出来て、
私が読んだ順番は偶然ながらも良かったなぁと思っています。
(どの作品から読んでも大丈夫な小説になっています)
思春期特有の何でもない風に装いながらも、
実は言葉たった1つで傷ついてしまう危うい繊細さ。まるで世界はそこにしかない様な閉塞感を
思い出した気がします。
そこに絡んでくる性と生。
主人公の行人は軽薄な様で、
実は性に対して性欲だけではなく
自分をも変えてくれる何か期待しているのです。
「セックスは肯定してもらえるもの」
と思っているところからも
軽薄さは表面上のもので、むしろ潔癖さを感じました。
ただ、本当に好きな子をその対象に出来ないというか、しないところが、
この話の複雑なところで……。
1番重要なところではないかと単純な私は思っています。
ここから「南風に背中を押されて触れる」
へと、時は飛ぶのですが、
そちらはそちらで色々な事柄が枝分かれの様に
なっていて……。
どの作品を先に読むかで、
印象が変わるかもしれません。
ただ、どれから読むにしても、
思春期の青さにどっぷりハマりたい方には
こちらをオススメします。
そして、こちらを読んだら
「南風に背中を押されて触れる」も読んでしまうことでしょう。
逆もまた然りなのです(笑)
他の小説も……。
切り株ねむこさん、本当にありがとうございます。
郷倉四季の名義で掲載している作品は同じ舞台で物語が展開します。
ひとつひとつは独立した作品として読めるものを目指しています。
ただ「あの海に落ちた月に触れる」と「南風に背中を押されて触れる」は主人公が一緒で、問題意識も似ています。
ちなみに、矢山行人は「あの海~(2007年)」が十五歳で、「南風に~(2013年)」が二十一歳です。
「南風に背中を押されて触れる」はレビューでも書いてくださった通り、現在も連載中です。
予定では八月十四日の更新で終わります。
あと、三回の更新ですね。
物語はほとんど終わっているようなものですが、中盤からずっと残している部分を回収します。
よろしくお願いします。
また、八月十四日に更新する「オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない。」では、
倉木さとしという友人の話をしつつ、「南風に背中を押されて触れる」をなぜ書いたのかということを書いています。
正直、読んでみてください、と気軽に言って良いのか悩む内容ですが、一応書いておきます。
ちなみに長いです。
なので、二分割するか、三分割する予定です。分割にしたものは来週に回さず全て十四日に載せます。
それはそれとして、本当に良いレビューだなぁ。
ちゃんと「あの海に~」の問題意識みたいなものを取り出してくださっているし、ねむこさんの考えも書いてくださっているし、最後レビューを読んでくださる方に向けて締めて下さってもいる。
なにより他の作品についても言及してくださっているのが個人的に凄く嬉しいんですよ。
という、如何に僕のテンションが上がったか話をすると歯止めがなくなりますね。昨日から頬は緩んでます。
たぶん、傍から見れば暑さでやばいことになっている奴です。
なので最近の近況をまた書かせてください。
本日は三連休の真ん中ですね。
初日はあわただしくて何もできない感じだったのですが、本日は比較的ゆっくりでてきます。
外が暑すぎて、まともに物を考えられている気がしません。笑
ひとまず生きています。
ついでに、「私の少年」の6巻をようやく読みました。
30歳OL・多和田聡子と、
12歳小学生・早見真修の恋愛を描いた作品。
母性で接していた付き合いから徐々に恋愛へと昇華されつつある二人の気持ちが狂おしいほど美しく、魅了される。
と、あるサイトに書いてあったのですが、この書き方ですと30歳OL・多和田聡子の視点にしかスポットが当たっていません。
前半だけを考えれば、その通りなのですが、その恋愛へと昇華される流れを一刀両断にされる展開が3巻辺りで起きます。
そこから少年、早見真修の視点が絡まってきます。
僕はどちらかと言えば美しく純粋で、故に大きな失敗をし、大きな喪失を抱えた少年が自らの口で語りだしてからが「私の少年」の本番だと思います。
まるで人形のようで、悪いものに穢されず存在しているような少年が思春期を通過しながら、自分の中の感情に気づいていく過程は一読の価値があります。
というか、異性(他人)を大切に想うが故に相手を人間として見れなくなる、は僕の小説世界のひとつのテーマです。
宮本輝の小説で恋人に対し「君は私を人間扱いしていない」という台詞がありました。
他人を人間扱いする、とはどういう関係性のことを言うんだろう、と一時期の僕は考えていました。
その辺の答えもまたエッセイのネタにしていきたいと思います。
あれ、まったく近況になっていない。
もうね、まったく何もしていないんですよ。
そんなボーっとした休日ですが、これからちゃんとやることやっていきます。
本当です。
嘘じゃありません。
そして、明日は「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」を見に行きます。江國香織の小説のタイトルをもじるなら、号泣する準備はできています。