学園の授業が終わり、サチコが下校準備をしていると、隣の席のヒョウガが不意に声をかけてきた。
「影薄、少し……いいか?」
微妙な緊張が混じった声色に、サチコは手を止めて振り向く。
「どうかしたの?」
落ち着いた返答とは対照的に、ヒョウガの顔には迷いが浮かんでいた。何かを言いかけては飲み込み、わずかに視線を泳がせている。
「その……いや、なんでもない……いや、その……今週末、空いてるか?」
あまりにも不自然な言い回しに、サチコは首をかしげた。
「まぁ、空いてるけど……」
ヒョウガは一度深く息を吸い込み、意を決したように顔を上げる。そして、勢いをつけるように声を張り上げた。
「お前と!出掛けたい!!」
瞬間、教室がざわつき始める。
「えっ、出かけたいって……あの氷川が影薄を誘ってるのか?」
「それってデートじゃん!!」
次々と飛び交う冷やかしの声に、サチコは眉をひそめた。
「ちょっ、ヒョウガくん!声、大きすぎ!」
「いや、その……違う!そのようなアレではない!!」
慌てて手を振るヒョウガだったが、既に教室中の視線が二人に集中している。どうにもならない状況に、サチコは短くため息をついた。
イルミネーションがきらめく街を、サチコとヒョウガが並んで歩いている。
「お姉さんのクリスマスプレゼント選びを手伝って欲しいなら、最初からそう言えばいいのに……」
サチコはジト目でヒョウガを見つめ、呆れたようにため息をついた。
「……すまん」
ヒョウガは申し訳なさそうに頭を下げる。
ヒョウガが教室のど真ん中で、まるでデートに誘っているかのような誤解を招く発言をしたせいで、周囲から冷やかしを受けたのは昨日のことだった。サチコはその場を何とか切り抜けたが、恋愛話が大好きなモエギに捕まり、気づけば恋愛談義に引き込まれていたことを思い出し、わずかに眉をひそめた。
「……また学校が始まったら、モエギちゃんの説得に付き合ってもらうからね」
「モエギ?……」
「昨日、私に君との関係について聞いてきた子だよ。眼鏡をかけた緑髪の子、覚えてる?君も一緒に説明してくれないと、あの子の好奇心は収まらないから」
サチコは苦笑いを浮かべたが、その表情からはどこか親しみも感じられた。
「……悪い子じゃないんだけど、恋愛に関しては少し熱心すぎるというか何というか……」
ヒョウガはその言葉に小さく頷き、気まずそうに視線をそらした。
「とにかく、勘違いさせた責任、ちゃんと取ってよね」
「……あぁ」
短く答えるヒョウガの声に、どこか申し訳なさが滲んでいる。彼の様子を見て、サチコはふっと肩の力を抜き、小さく息をついた。
「まあ、ヒョウガくんがお姉さんとちゃんと仲良くしてるみたいで安心したけどね」
少し前のことを思い出すように言葉を続けたサチコに、ヒョウガがわずかに驚いたように目を瞬かせる。
「……そうか。そう言ってもらえるなら、助かる」
不器用な返事に、サチコは思わず小さく笑った。それ以上何も言わず、二人はまた黙ってイルミネーションのきらめく街を歩き始めた。
「それで、具体的にどんなものをプレゼントしたいと思ってるの?予算はどれくらい?」
サチコの問いかけに、ヒョウガは一瞬黙り込んだ。
「……?」
その反応に首をかしげるサチコ。もしや、何も考えていないのでは?と様子をうかがうと、ヒョウガが観念したように口を開いた。
「その……プレゼントなんて久しぶりで、どんなものを買えばいいのか……正直、全然分からないんだ」
ぼそぼそと呟くヒョウガの言葉に、サチコはため息をつきつつ、少しだけ笑った。
「お姉さん、どんなものが好きなの?」
「そうだな……」
少し考え込むヒョウガ。やがて、ゆっくりと思い出すように話し始めた。
「本が好きだな……恋愛小説をよく読んでいる。それに、花とか甘いものも好きだ」
「そっか。それなら選びやすそうじゃない?」
サチコの言葉に、ヒョウガは少し不安そうに眉を寄せる。
「でも……何がいいかなんて、正直分からない。喜んでもらえなかったらと思うと……」
ぼそぼそとしたヒョウガの呟きに、サチコは小さくため息をついた。
「そんなに気負う必要はないんじゃない?お姉さんだって、ヒョウガくんが一生懸命考えて選んだものなら、それだけで嬉しいと思うけど」
そう言いながら、サチコはふと目の前のショーウィンドウに目を止めた。クリスマス限定の華やかな包装が施された小さなブックカバーやしおり、そしてカラフルな花束のセットが並んでいる。
「例えば、こういうのはどう?お姉さんが好きな本に使えるし、見た目もきれいだし」
サチコが指さすと、ヒョウガもその商品に目を向けた。じっと見つめ、少し考え込むような仕草を見せたが、やがて静かに頷いた。
「……確かに、いいかもしれない」
「甘いものもセットにすれば完璧なんじゃない?好きなんでしょう?」
「そうだな……それも、考えてみる」
ヒョウガの口元にほんのり笑みが浮かぶ。その様子を見て、サチコも満足そうに微笑んだ。
「それじゃ、ちょっと入ってみよっか」
サチコが促すと、ヒョウガは静かに頷き、二人は店内に足を踏み入れた。温かみのある照明が店内を包み、甘い香りが漂ってくる。
「これなんてどう?セットでちょうどいいかも」
サチコが商品棚を見渡しながら声をかけると、ヒョウガが近づいて手に取った。慎重な様子で品物を確認する仕草に、真剣な気持ちが見て取れる。
「……これなら悪くないな。姉さんもきっと喜ぶはずだ」
「でしょ?」
二人は視線を交わし、自然と顔に柔らかな笑みが浮かぶ。そして、また商品を見て回り始めた。その光景は、どこか楽しげで穏やかな雰囲気を漂わせていた。
買い物を終え、イルミネーションがきらめく通りを二人で歩いている。冷たい風が吹き抜ける中、ヒョウガがふと足を止めた。
「影薄、今日はありがとう。お前のお陰で姉さんへのプレゼントを買えた」
不器用ながらも感謝を伝えるヒョウガの言葉に、サチコは優しく笑う。
「どういたしまして。ヒョウガくんのお姉さん、喜んでくれるといいね」
「……ああ。きっと大丈夫だと思う」
ヒョウガが短く答えたその時、バッグから小さな袋を取り出した。
「そうだ……これ、お前に」
差し出された袋を見て、サチコは目を丸くした。
「えっ、私に?」
「ああ。姉さんのプレゼントを選んでいる時に目についたんだ。お前も甘いものが好きだろ?」
袋の中には、小さなシュトーレンとクリスマス限定のクッキーが入っている。それを見た瞬間、サチコはハッと顔を上げた。
「あ……!わ、私、何も用意してない……!」
慌ててバッグの中を探り始めるサチコに、ヒョウガは呆れたようにため息をついた。
「別に、礼のつもりで渡しただけだ。お返しなんて必要ない」
「いや、でも……流石に貰うだけは悪いというかなんというか……!」
サチコの焦りに、ヒョウガは少しだけ口元を緩める。
「……そんなに気にするな。少し早いけど、メリークリスマス、影薄」
その不器用な言葉に、サチコは思わず動きを止めた。そして、少し照れくさそうに微笑む。
「……ありがとう。少し早いけど、メリークリスマス、ヒョウガくん」
二人は短い言葉を交わし、再びイルミネーションの中へと歩き出した。冷たい風が吹く夜の街は、どこかいつもより暖かく感じられた。