アイギスの任務を終えた俺は、本部内の医務室へ向かった。何度も通った扉を開けると、見慣れた姿が目に入る。
「姉さん。調子はどうだ?」
「……ヒョウガ」
俺を見た姉さんは、眉尻を下げながら小さく笑った。
「私は大丈夫って言ってるでしょう。もう病弱でもないんだから」
「それは、分かってはいるんだが……」
ネオアースシステムの在り方が変わり、以前より精霊と密接した世界になったことで、マナコントロール適性の高い姉さんも問題なく生活できるようになった。
今では刺刀ケイの手伝いとして、アイギス本部の医療業務を補助できるほどだ。
「こうしてちゃんと働けてるんだから、心配いらないわ」
「そうだな……そう、だな」
それでも、ベッドの上で弱々しく寝込んでいた昔の姿が脳裏を過る。
目の前で元気に働いている姿を見ても、長年染みついた心配までは簡単に消えてはくれなかった。
煮え切らない返事をする俺に、姉さんは仕方がないと言わんばかりにため息をつく。
「そういえば、サチコさんとはどうなの?」
「影薄? どうとは?」
「席もまた隣になったんでしょう? 何かあるんじゃないの?」
「?」
何を言っているのか分からず眉を寄せていると、俺のMDが振動した。
急な任務かと思って画面を確認するが、表示されていたのは影薄の名前だった。
「影薄?」
「出なさい」
「え」
「いいから出なさい」
「ね、姉さん?」
「今は私達しかいないんだから。ほら」
医務室で私用の通話をするのはどうかと思ったが、姉さんに促されるまま通話アイコンを押す。すると、電子画面に影薄の顔が映った。
『あ、ヒョウガくん。急にごめん』
「問題ない。どうした」
『ちょっとお願いしたいことがあったんだけど……』
そう言った影薄は、画面越しに俺の後方を見る。
『……もしかして、お姉さんのところ?』
「そうだが」
『そっか。じゃあ、また今度でいいや』
「急ぎじゃないのか?」
『うん。別に今日じゃなくても大丈夫だから』
「そうか」
『ごめんね、邪魔しちゃって』
「気にするな。また何かあれば連絡してくれ」
そのまま通話を切って顔を上げると、姉さんと目が合った。
何故かものすごい目で見られている。
「……姉さん?」
「今、完全に攻撃通ったでしょう!? 何もせずフェイズを終える馬鹿がいますか!!」
「姉さん!?」
何の話だと困惑していると、姉さんは頭を抱えた。
「あぁ。嘆かわしい。……どうしてこういうとこまで真面目なのかしら」
「俺は……何か、間違った事をしたのか?」
「いいえ、貴方の行動は満点よ」
「ならば──」
「満点だからダメなのよ!!」
「姉さん!?」
何だ!? 何が姉さんの気に触ったんだ!?
「よく聞きなさい、ヒョウガ」
「あ、はい」
「サチコさんはね、私達の顔が好きなの」
「………………?」
どうしよう。姉さんが何を言いたいのか分からない。
「何度か一緒にお出掛けしたけど、あの子、私の顔にも見惚れるもの。検証もしたし、間違いないわ」
「何してるんだ姉さん」
さっきから会話に脈絡がなさすぎる。どういう反応が正解なのか分からない。というか検証って何をしたんだ。
「特にお父さんの顔が好きみたいね。自然な流れでフォルダを見せてもらった時、何枚かツーショットが入っているのを確認したわ」
「何してるんだ父さん!」
「帰ってお父さんを問い詰めて言質も取ったの。最近では会う度に一枚せがまれてるらしいわ。ポーズも込みでね」
「影薄!?」
知りたくなかった! 友人が俺の父親の顔が好きなんて知りたくなかった!!
「これはチャンスよ。お父さんとそっくりな貴方の顔も好きなはず。勝機は氷川家にありよ」
「もうやめてくれ!!」
影薄が父さんと何枚も写真を撮っている事も受け止めきれていないのに、これ以上混乱させないでくれ!!
「いい? 貴方は消極的すぎるの。今どきカウンターなんて受け身姿勢は流行らないわ。攻撃が最大の攻撃よ」
「そもそもこれは何の話なんだ!」
「最高の手札が揃ってるのに切らないなんて愚の骨頂! 時代はロールキャベツよ!」
「頼むから会話をしてくれ!」
駄目だ。今日の姉さんとは話が通じない。
「分かったならサチコさんに電話をかけ直しなさい」
「何一つ分からないのだが!?」
「いいから。私が元気なのは伝わったでしょう?」
その言葉に、俺はピタリと動きを止める。
「こんなにはしゃげるようになったのよ。いい加減、その心配性はやめなさい」
「姉さん……」
いつになく妙な言動をする姉さんだったが、そういう事だったのかと安堵する。
そうか。姉さんは俺を安心させるためにあんな発言をしていたのか。
「すまない。俺のせいで、変な冗談を言わせてしまったんだな」
「いいえ。全て本気よ」
「は?」
俺が呆然としていると、姉さんは俺の両肩に手を置き、そのまま強引にドアの方へ向けた。
「ほら。私は大丈夫だから、サチコさんとお出掛けでもしてきなさい」
「いや、俺はまだ──」
「貴方が友人と仲良くしてる話をもっと聞きたいのよ」
「!」
抵抗しようとしていた体の力が抜ける。
「口実が必要なら私を使いなさい……そうね。新しい栞が欲しいわ。センスの良いものを選んできて。サチコさんと一緒にね」
「……あぁ」
思えば、姉さんは俺に友人がいないことを気にかけていた。
俺が友人と遊ぶことで姉さんが安心するのなら、と素直に頷く。
「とびきり、いいのを買ってくる」
「ふふ。頼んだわよ」
そう言って俺を送り出した姉さんに背を向け、電話のできるスペースまで移動してMDに触れた。
影薄の番号を表示し、発信しようとしたところで姉さんの言葉を思い出す。
「……影薄は、俺の顔が好き」
……心当たりは、なくはない。以前、影薄が告白を断るために口にした好みのタイプが、俺に似ていると言われていたな。
「っ!」
カッと顔が熱くなり、アイコンを押そうとした指が止まる。何故か画面に触れられない。
なんだこれは。心臓が破裂しそうだ。
影薄にかっこいいと思われているのを想像すると落ち着かない。
俺は壁に額をつけ、そのまま片腕で目元を覆った。
「……この顔では、連絡できないな」
──熱はまだ、引きそうにない。