インターネットにしか存在しないわたしの存在をどう扱うか。ツイッターでは「サユリ」という、ぼやっとした責任の名前で存在していた。何はともあれ、なにかの創作を世間に向けて打ち出している人間としてふさわしい態度かといえば、そうではないんじゃない、と思って、ツイッターの上でも宮元早百合と名乗ることにした。本名ではなくて、わたしにとっての非日常であるところの作家生活、をおくるものにつけた名前だが、作家生活が非日常であることそのものには一定の不利がつきまとっている。ともかく
ツイッターにいるとちょっとした事件なんかを目にする。知識人気取りがコメントとともに拡散している。そのなかの一件はあとになって「真実は真逆である可能性」が発生したが、そっちのほうはまるで拡散されないでいる。拡散屋のひとりは意見を変えたくなさすぎて人格批判に突入している。自分でそれに気付いてない模様。
『ワンピース好きは友人に向かって「何があってもお前を信じる」という台詞を言いたすぎて、基本的な事実確認をしない』というブラックジョークを見て笑った。ワンピース好きかどうかは知らないがそういう類の行為をしている現場はツイッターでは毎日のように見ることができる。
結局のところ自分もいつかそういうことをするだろう。過去にしていたかもしれない。そのとき名前が「サユリ」では責任があまりに薄すぎる。まだ作家ではない(もちろん永久にならないかもしれない)にしても、責任を自身に引きつけた上でなんらかの発言を世間に対して行える状態になっておきたい、と思って、こういうことをした。もちろん今はまだ発言そのものをする気はない、そのへんの匿名存在と同じだから。まちがえたときにどう頑張っても責任が取れないので。
小説はまだ書いていない。書く前に読んでおこうと思った本をまだ読んでいないため。ひとなみに春から新生活のようなこともしている。ただ、少しだけ本を読むのが早くなった。