そうか、変なペンネームは減点なのか。つまり私はペンネームで落選を重ねてきたのだな、とか間違った悟りに至りかけました。メフィスト賞と江戸川乱歩賞は違うのだよってことでしょうか。知りませんけど。
っていうか皆さん作者名なんて気にして読んでるんですね。私とか何だこれ伊坂幸太郎にそっくりな作ふ――伊坂幸太郎ー!! とかしょっちゅうな読者なのに。よっぽど気に入ってはじめて作者名を確認するくらいなのに。みんな偉いですね。
いやそんなことよりも、私としては人目に触れる講評で何某の何其と似てるの方がキツいです。せめて「先行作品との差別化が欲しい」くらいマイルドにしてほしい。これ言ってる側と言われた側の温度差が月面の昼夜くらい激しいので本当に慎重に使ってほしい。
私とか「◯◯を思わせて素敵!」って言われても「ありがとう! ぶち転がしてやる!」くらいの感情になるときありますし。それはそれで過剰反応ですけどね。
ところで物語の結末省略って難しいですよね。だから評価シートとかで色々もらって得た気づきについて書きますと、運ゲーです。読み手によります。
同じ作品で続きを意識するなと言われたから殺したら最後で台無しと言われたりもしたからです。殺した私が悪いといえばその通りかと言うと、生きてりゃ人生は続くんだから話が続きそうな終わり方になるし、生きてるけど何も起きない日常を書いたら蛇足どころか蛇の絵の横に描かれたへのへのもへじです。
逆にいえば作者が書きつづける限り物語は終わらず、作者が筆を置けばそこで必要なものは書ききったことになります。
物語が完成してないのはあらゆる事情による打ちきりだけで、ほかは内容に対して期待するものを間違ったか、最も恐ろしいのは終わってないだろという怒りを求めて終わらせているパターンがあるくらいでしょう。たぶん。
もちろん技術的な巧拙はあるんですけど、終わったということは尻切れじゃなくて終了時点までを書くことを目的にした作品だったんだな、と解釈するのが妥当です。さあ、怒りを沈めてそのつもりで再読するのだ。なぜそこで物語が終わるのか考え――あ、時間がもったいない。さようでございますか。失礼いたしました……。
明日のラッキー思いつきフレーズ
『ああ、申し訳ございません、昨今は円安でございますでしょう、こちらの戒名はドル建てのお気持ち代となっておるのです。ですがご安心ください。わたくし共にも人数割パックお気持ちというのがございまして、三人以上は一人につき10%のお気持ちを割り引かせていただき戒名をシェアしていただけばその分のお気持ちも……』