池をめぐりて夜もすがら、にはならないけど。
小説を書いて夜更かし、というのはあり得るので、注意しましょう。
昨日は早めに寝たのですが、午前一時ごろに目が覚めてしまって、それで午前三時三〇分頃まで小説書いてましたから。
そのぶん、今日、眠いはずなのに、あんまり眠くなくて。
その反動が来るのが、怖いです。
「池をめぐりて夜もすがら」はわかるんですよね。
池をぐるっと回って来たときに、月は(まあ、地球は、なんだけど)動いているので、同じ場所でも見えかたは違ってるわけですから。
それは、文学的にも、科学的にも、見ていて飽きない、というのはわかるんですが。
というわけで、清瀬 六朗です。
しかし。
「仲秋」なのに暑いですよ。
「仲秋」って旧暦の八月なので、旧暦の七月は現在の八月ごろですでに「秋」なので、まあ「秋のまんなか」でも暑いのはありうる、と言えばそうなんだけど。
暑い……。
それと、お米ですね。
近所のスーパーでは、復活しました。
ただ、ふだんより売り場面積が減って、さらにそのなかの棚一段分だけなんですけどね。
でも、「入荷即完売」みたいな、コ○ケの壁サークルみたいな状況ではなくなってきたようです。
私は、もうしばらく、買い置きしていたパック米を食べて過ごします(災害備蓄分がなくなるんだけど。パック米は復活してきたから、また買っておこう)。
で。
『ほんとうのかなしみのこと』
https://kakuyomu.jp/works/16818093085075443794 ありま氷炎さま主催の「第十回月餅企画、9月17日当日のみ開催。」
https://kakuyomu.jp/user_events/16818093083152351959に参加しています。
私が詩を書くなんて、考えてませんでしたよ、さっきまで。
ほんとうに月を見てて、月を見る前に考えていたこととかいろいろ混ぜて、作りました。
解説するのも無粋なんですけど。
ここのところ、なんか、心にこたえる「別れ」が多くて。
いや、そんな大事件が続発してるというのではぜんぜんないのです(去年から進行しているトラブル対処とも無関係)。
ただ、なんか、身のまわりで、異動だとか、住んでいるマンションが建て替えになったとか、ほかにも理由はありますが、「あれ? 昨日まであのひとここにいたじゃん?」という人がいきなりいなくなっている。あるいは、いなくなりそう。
そういう例に何件も遭遇して、ちょっと心が疲弊中なのです。
なんでそういう別れがこんなに心にこたえるんだろうと思ったら。
そういう人たちって、「コロナ禍」をいっしょに乗り切った人たちなんですよね。
で、その人がいなくなってから「あ、この人がここにいてくれたことが、あの「コロナ禍」のときの自分をすごく大きく支えてくれていたんだ」ということに気づく。
この詩を書いて、その疲弊した心を、なんとか自分で支えられるかな、と思いました。
あと、BGMは、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、hr交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第一番「冬の日の幻想」の主に第二楽章でした。
Tschaikowsky: 1. Sinfonie (»Winterträume«)
hr-Sinfonieorchester Paavo Järvi
それと:
『黄金林檎の落つる頃』
https://kakuyomu.jp/works/16818093084192538215の連載を始めました。
夢月七海さま主催「同題異話・九月号 黄金林檎の落つる頃」に参加しています。
https://kakuyomu.jp/user_events/16818093084060354633 ギリシャ神話の「パリスの審判(の黄金の林檎)」にかかわる物語三作(前後に分かれているお話があるので全四作)の連作です。
こちらもよろしくお願いします。