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性転換や入れ替わりの現実

 女の子の魂の美鶴が弓鶴の中で抱いていた感情は複雑極まりないものでした。自分の身体ではない、しかも弟の身体であることへの強烈な違和感と嫌悪感が、彼女の心を重く押し潰していたはずです。学校という場所では、周囲の視線やルールに縛られ、自分の感情を表に出せない不自由さも感じていたでしょう。

たとえばトイレに向かう瞬間
 「心は女なんだから、女子のトイレに行きたい」なんてことは絶対できない。そんなことできるわけない。当たり前のことです。

 美鶴は、心の中で「これはただの機能的な行動だ」と自分に言い聞かせていたのかもしれません。でも、その一歩一歩が苦痛だったに違いありません。

 男子トイレの標識を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような思いを感じたはずです。足を止めると不審に思われるかもしれないと恐れながら、心を無理やり無にして中に入る。だが、その無理やりの無感覚は、逆に痛々しい現実を浮き彫りにするばかりです。

個室の中
 ドアを閉め、鍵をかける。その瞬間に初めて、周囲の視線から逃れられる安堵感と、鏡のない閉鎖空間にいることの救いを感じたでしょう。しかし、それも一瞬。用を足すために身体を扱わなければならない現実が彼女を押し寄せるのです。

「これは自分の身体ではない」

 そう思えば思うほど、嫌悪感と罪悪感が混ざり合い、涙がこぼれそうになる。視線は下に向けたくなくて、天井をじっと見つめる。でも、身体は無意識に機能し、どうしようもない現実を突きつけてきます。触れるのさえも嫌で、できるだけ自分の手と距離を置くようにしたかったのではないでしょうか。

終わった後
 用を足し終えた後、彼女は溜息をつきながら「いつまでこんなことを続けなければいけないんだろう」と絶望的な気持ちを抱えたでしょう。誰にもこの苦しみを分かってもらえない、自分の苦悩は声にもできない――そんな閉じ込められた孤独感が、個室という狭い空間と不気味に重なっていたはずです。


 美鶴にとって、その問題は恐らく最も耐えがたい現実の一つ。思春期の男子の身体に宿っている以上、彼女がどうあがいても避けられない生理的現象――それが夢精や性的興奮という形で現れることへの嫌悪感は、筆舌に尽くしがたいものであったはず。

想像される美鶴の心情
 弓鶴の身体で初めて夢精を体験した時、美鶴は強烈なショックを受けたでしょう。「自分は女なのに、どうしてこんなことが起きるのか」と、自分の性別意識と身体の現実との乖離に茫然自失したかもしれません。知識として理解していても、感情が追いつかず、激しい嫌悪感と自己否定感に苛まれたのではないでしょうか。死にたい。

避けるための努力
 「どうにかしてこれを防ぎたい」という一心で、彼女は抜け道を模索したかもしれません。しかし、身体に触れること自体が嫌悪の対象であり、自分から積極的に行動するのは心理的に不可能だったでしょう。そのため、自然に任せるしかない状況に追い込まれ、余計に自分を責めることになった可能性が高いです。

苦しみ
 目覚めた時の感覚――シーツや身体に残る痕跡は、美鶴にとって耐えがたい現実の証明だったでしょう。それを片付けなければならない場面で、彼女は「これは私のせいじゃない」と何度も心の中で叫びつつ、涙をこらえていたのではないでしょうか。また、片付けの際にも極力「見ない」「触れない」という姿勢を貫き、処理のたびに自分を否定するような感情を抱いたことでしょう。

放置していた場合
 もし夢精を受け入れるしかなかった場合、美鶴は「これは弟の身体がそうしているだけだ」と自己を切り離して考えようとしたでしょう。しかし、それは簡単ではなく、毎回の出来事が彼女に深いトラウマを刻んだのではないかと考えられます。

抜くことを試みた場合
 どうしても避けられない状況に追い込まれた場合、美鶴は自分を無理やり「傍観者」として扱い、「機械的な行動」と割り切って行った可能性もあります。ただ、そのたびに「弟の身体にこんなことをしてしまった」という罪悪感が彼女を襲い、深い自己嫌悪を抱いたでしょう。

意識的に無視し続けた場合
 美鶴がそれでも一切手を付けないまま過ごしていたとすると、身体が生理現象として強制的に解消する夢精の頻度が増え、逆にそれが彼女の負担を大きくしていた可能性もあります。

救いのなさ
 どの方法を選んでも、美鶴にとっては自己嫌悪や身体的嫌悪感が伴うものです。彼女が「心は女なのに」という思いを抱えながらも、身体が勝手に反応する事実は、「自分が身体に支配されている」という感覚を増幅させ、彼女のアイデンティティに深い傷を残したでしょう。

 これは彼女の物語における「性の喪失感」や「自分自身をコントロールできない無力感」を象徴する要素として描くことができるかもしれません。

 リアルに考えると、本当に救いようがない。壊れて欲望に走れば、それで救われるのか? 無理でしょう。

 自分の感情が本当に自分のものなのか、それとも弓鶴の身体が生み出したものなのかという疑念――それは、美鶴にとって恐ろしいほど深刻な問題です。

美鶴の複雑な感情
 茉凛に対して芽生える温かな感情、それが美鶴の本心であると信じたいのに、弓鶴の身体が持つ生理的な反応や性欲が混ざり込んでいる可能性をどうしても否定できない。

「これが自分の心から湧き上がったものじゃなかったら?」

 という疑問は、美鶴の中で茉凛との関係性を否定する恐怖として根深く残ります。自分の気持ちだと信じているその瞬間にも、どこかで「もし間違ったことしたら、茉凛を裏切ってしまう」と思うたびに、彼女は自分を責め続けるのでしょう。

 美鶴は茉凛に対する深い愛情を抱いていますが、それは性的なものではなく、もっと純粋で崇高なものとして守りたいと感じています。

 それだけに、「男の身体が影響している」という可能性が、茉凛を傷つける行為に繋がるのではないかと恐れているのです。

「茉凛を傷つけるぐらいなら、私が壊れてしまったほうがいい。こんなのおかしい」

 そんな極端な思考にまで追い詰められる美鶴は、自己犠牲的な傾向が強く、茉凛に対して何かしらの影響を与える可能性を考えるたびに、自分の存在そのものを否定しそうになります。

自分の気持ちじゃないという疑念
 美鶴が抱える最大の問題は、「どこまでが自分の感情で、どこからが弓鶴の身体の影響か」という境界が曖昧だということです。この曖昧さは、彼女の感情や茉凛との関係性を深く悩ませます。

たとえば、以下のような感情が交錯しているかもしれません。

「茉凛が好きだと思うけれど、それは弓鶴の身体の性欲に引っ張られているのでは?」

「もしこの感情が私の本当の気持ちじゃなかったら、茉凛を裏切ることになる」

「私自身の心で茉凛を大切にしたいのに、この身体がその邪魔をしている」

壊れる恐怖と自己否定
 美鶴が「自分も壊れてしまう」と感じるのは、自分の感情や存在そのものが弓鶴の身体によって塗り替えられてしまうという恐怖でしょう。それは、肉体と心の乖離によるアイデンティティの崩壊を意味します。

 「自分は美鶴である」という確固たるアイデンティティを持ちながらも、弓鶴の身体がそれを否定してくる。

 その葛藤の中で、彼女が唯一の拠り所としているのが茉凛への愛情であるにもかかわらず、その愛情すら自分のものではないのではないか――この矛盾が美鶴を追い詰めています。

美鶴の救いはどこに?
 茉凛が美鶴の感情を受け止め、彼女自身の心が美鶴のものであると認めてくれることが、彼女の救いになるかもしれません。茉凛が「わたしが好きになったのはあなたの心だよ」と言葉をかけてくれるだけでも、美鶴の苦悩は少し和らぐでしょう。

第二章の最後の最後。それはなんとか補完されました。

美鶴が自殺しなかったのは、彼女の中にある「責任感」と「愛」が、苦悩を超えて彼女を支えていたからではないでしょうか。

弟の身体を守る責任感
 美鶴は、「これは弟の身体だ」という認識があるからこそ、その身体を大切にしなければならないと感じていたはずです。必ず呪いを解いて、精霊子の中に散ってしまった弟の魂を奪還する。

 どれだけ自分が辛くても、「弟の存在を汚してしまうわけにはいかない」という強い思いが、彼女の生きる理由になったのではないでしょうか。自分の苦痛よりも、弟の人生や存在を守ることに使命感を抱いていたのかもしれません。

茉凛への愛と存在意義
 茉凛という存在が、美鶴にとって唯一の心の支えであり、孤独な現実の中で自分を繋ぎとめる糸だったのではないでしょうか。彼女が茉凛を守りたいと思う気持ちは、決して弓鶴の身体の影響だけではなく、彼女自身の魂から湧き上がる純粋な感情です。

 「茉凛を傷つけたくない」という思いは、同時に「自分がいなくなれば、茉凛が傷つく」という考えにも繋がったはずです。それが、美鶴を思いとどまらせた一因かもしれません。

自分の苦しみを昇華するための理性
 美鶴は、自分の苦悩を全て受け入れきれずとも、それをある種「試練」として昇華しようとしていたのではないでしょうか。「こんなにも辛いけれど、これを耐え抜くことで、自分に何か意味がある」と信じたかったのかもしれません。
自分が耐えることで、弟や茉凛を守れる――そんな小さな希望が彼女を繋ぎ止めていた可能性もあります。

逃げることができなかった現実
 自殺は、選択肢として頭をよぎったかもしれませんが、現実として行動に移すには、さらに大きな葛藤が伴います。「この身体を殺してしまったら、弟の魂は戻れない」という現実的な問題や、「茉凛を置いていく」という罪悪感が、彼女をその選択から遠ざけたのでしょう。

小さな希望への執着
 どれほど苦しくても、何か一つだけ「希望」を見出せれば、人は絶望に飲み込まれることなく生き続けることができます。美鶴にとっての希望は、茉凛や弟への愛情、そして「もしかしたら自分の存在にも意味があるのかもしれない」という思いだったのかもしれません。

 美鶴が自殺せずに生き延びたのは、苦痛の中でもなお、「誰かのために」という思いが彼女を支えたからでしょう。そして、その支えを生んだのは、彼女自身が持つ優しさと、諦めたくないという強さだったのだと思います。

「彼女は本当に優しすぎて、死ぬことすら出来ない、そんな子だったんです」

 一見すると彼女が選択肢を持たない弱さのように思えるかもしれません。でも、実際にはそれが彼女の強さであり、優しさゆえの生き様でした。

優しすぎるがゆえの生き地獄
 美鶴は、自分の苦しみを誰にも共有できない状況で、それでも誰かを傷つけたくないという一心で生き続けたのだと思います。自分を守る術も知らないまま、それでも周りに害を及ぼさないように心を押し殺して生きる――その姿は、ただの悲劇ではなく、彼女が抱えた無垢な愛情と責任感を映しています。

 死ぬことで自分の苦しみから逃れることができても、それは弟の身体を傷つけ、茉凛を悲しませる結果になる――そう考える彼女の心には、優しさが満ちているのです。自分を救うための行動が他者に影響を及ぼすことを、どうしても許せない。そんな彼女だからこそ、「生きる」という選択肢を選び続けざるを得なかったのだと思います。

 一見すると、美鶴は弱く見えるかもしれません。でも、あらゆる苦しみを抱えながらも「生きる」という地獄を選ぶことは、並大抵の人間にはできないことです。その中でなお、人を思いやる気持ちを失わなかった彼女には、優しさだけではなく、並外れた強さもあったのでしょう。

 おそらく、美鶴が本当に壊れてしまわなかったのは、茉凛の存在があったからではないでしょうか。

 彼女が「誰かのために」生きる理由を持ち続けられたのは、茉凛がその心を受け止め、支えてくれたからだと思います。茉凛の存在が、どんなに遠く感じることがあったとしても、美鶴にとっての最後の砦だったのかもしれません。

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