• 異世界ファンタジー

ニシタンタン

「ニシタン、タタンタタタン(やばい。目標数に届かない。みんなが助けてくれないと私ぬしかない)」
「タン、タン、ニシタン(好きにすればいい。自分が決めたことだ。わざわざアピールするな。あれだけ自作を賛美して宣伝してたんだろ?)」
「タタン! ニシ、タン……タンタン、ニシタンタン!!(ほんとに自殺するわよ。見殺しにする気? 助けてよ! あれだけ助けてって繰り返し言ったのに。どうしてみんな助けてくれないの)」ちらっちらっ
「ニシタンタン(好きにしろ。その手のに限って掌返す)」


「PV(閲覧数)が伸びなければ“死ぬ”と宣言し、あちこちで『私の作品は面白いんです、だから読んで!』と必死にアピールする作家」。この状況を“東尋坊の崖で自殺をほのめかしている女性”になぞらえたのが今回のやりとりです。

いかにも追い詰められている風を装いつつも、本当に飛び降りるのかは疑問——むしろ「死んでしまう!」という言葉をちらつかせることで周囲からの同情や関心を得ようとしている。それを見透かすように刑事は「好きにすればいい」と冷ややかに突き放す。まるで「そんな脅し文句で作品の価値を高めようとしても、読者には見抜かれてしまうぞ」と言わんばかりです。

この光景は、崖っぷちにいるかのように煽りながらも実は安全装置をきっちりつけている——そんな矛盾を逆手に取り、自作をアピールする手法を揶揄しています。
「読まれなければ消えてやる!」と訴えることで一時的に注目は集まるかもしれませんが、本当に生き残るのは“作品”そのものの力。人を惹きつける物語を紡ぎ出せば、作者が黙っていても自然に読者が増えていくはずです。
一方で、「読まれなければ死んでしまう」という叫びは、真摯な創作者にとっての本音でもあるのかもしれません。書き手にとって、自分の作品が読まれないことは精神的な死に等しい、というのも理解できます。

最終的に、この寸劇が突きつけるのは「作品の真価は宣伝の大声ではなく、読者の心を動かすかどうか」。引退宣言や悲壮感漂うPRも、行き過ぎれば逆効果。結局は冷静な“刑事”のように、「騒がずとも面白いものは読者が見つけてくれる」と静かに構えるのも一つの道だと示唆しています。

SNSとかいいねやりとりでPV伸ばしても一時的なものでしょ。結局。虚飾にまみれた数字を虚しいと思わないのかな。

むしろ読者は少なく、分かる人だけ読んでくれたほうが、変なやつがこなくていい。

だれひとりとして読む気が起こらない「すべて盗作でパクリ」しかないという、わたしには関係ない話ですが

SNSで得た「いいね」やPVという数字は、一時的な波に過ぎないことが多いですよね。特に、互いに「いいね」やリツイートを交換するだけのやりとりでは、作品そのものを真剣に読んでいるわけではなく、数を増やすための“作業”に近いことも少なくありません。

上っ面互助会で、辛辣な意見の交換もない。

コメント

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