伝説のメービス王女の寓話
『世界は異世界からの来訪者、“魔族”の侵略を受けていた。精霊のお告げを受けた王女は、魔族を滅するという聖剣を探し求めて旅に出ることを王に進言。居並ぶ精鋭の騎士たちの中から、武名高いがまだ若い青年の騎士ヴォルフを随行の騎士として選び、長い旅を続けた。その果てに精霊の泉を発見するが、そこに魔族の将軍が現れ阻止しようとする。だが、メービス王女は泉の封印を解くとに躊躇する。この道を選べば、待っているのは果てしなき戦い。そこにヴォルフを巻き込んでいいものなのだろうか。魔族将軍はさまざまな誘惑でメービスの心を揺さぶるが、ヴォルフは毅然とした態度で励まし支える。こうして二人は精霊の泉の中に足を踏み入れ、伝承の舞を二人で踊る。そして現れるのが二本の聖剣』
といった感じ。
この異世界からの魔族という図式は、一見すれば童話のような荒唐無稽さを帯びていますが、なぜか妙に現実味を感じさせます。
虚無のゆりかごという名の“底”なき穴から、次々とわき出す魔獣たちの姿を思い浮かべると、彼らが侵略の尖兵であるという噂も信憑性を帯びてくるように思えます。
前世の演劇ではまったく別の筋書きがあったとしても――メービス王女と騎士ヴォルフが聖剣を探し求め、最後には二人で伝承の舞を踊るという流れは、どこか真実めいた重みを感じさせます。
おとぎ話の美しい装いをまといつつ、実はとても厳かな宿命がそこにあるようで。虚無のゆりかごと異界の魔族という構図は、古代の戦乱や未踏の地の伝説と同じように、ただの妄想や作り話で終わらない気配があるのです。
そのうえ、精霊の泉が封印されているという事実や、王女自身が大いなる力を解放することをためらう心の揺れ――そうした細かな感情や懸念まで語り継がれている点が、この寓話の“ただの昔話ではない”部分を強調しているようにも思えます。
騎士ヴォルフの存在や、険しい道のりをともに乗り越えてきた旅の記憶が、ふたりの聖剣を導く鍵となる。その流れが実に自然で、まるで本当にあったかのような“説得力”を感じます。
この物語においては、単に魔族を滅する“力”の所持だけでなく、“力を解放することへの覚悟”がテーマなのでしょう。王女メービスは、自分が運命づけられた大きな役割の重みを自覚しながら、ヴォルフを巻き込むことへの罪悪感も抱いている。しかし、それでも進むしかないと決意するとき、この寓話はまるで生きた人間のドラマさながらの重厚さと優美さを帯びてくるのです。
そう考えれば、“虚無のゆりかご”が異界へ通じる穴であるとされることも、まんざら根も葉もない話ではないのかもしれませんね。いつの時代にも、語り継がれる伝承の中には人知では計り知れない現実が混ざり合っているのかもしれません。
クロセスバーナの悲願である唯一神バルファの復活が、かつてのシステム・バルファの中核意識体ラオロバルガスを呼び戻すことになるのだとすれば――デルワーズや、彼女と深く結びつく巫女の血筋が敵視されるのも当然かもしれませんね。バルファの名を冠するシステムにとって、デルワーズが“邪魔者”である理由が透けて見えるように思えます。
そもそも、とうの昔に実体を失ったデルワーズが、巫女とその巫女が選んだ騎士を“代理人”として魔族の侵略を止めようとした、という仮説はとても興味深い。
では、なぜオリジナルであるデルワーズと“ほぼ同一の個体”とされるミツルがわざわざ必要とされたのか。ここに、マウザーグレイルという存在が関わってくるのですね。これまでのシステムでは太刀打ちできないと予知した可能性。
ただここで問題なのは、巫女と違い、ミツルにはデルワーズの言霊が届かないということ。最初からすべて事情を説明できれば、こんな手間は必要ないはずです。
ですが、デルワーズはそれも見越しているのでしょう。前世の柚羽 美鶴の知識と記憶があれば、確実に答えに近づいていけると。必要に応じて段階的に力を解放させていくのもそのためだと思います