■やっと第二話を書き終えました(遅筆だ!)。
連載が終わったので楽になれると思っていたら、今まで溜めていた仕事を片づけなければならず、余計大変なことになっています。
小説を書くのは、そうした仕事から逃避するための口実になっていたのだということが、身に染みました。とほほ。
それはさておき、わずか二話を書いた時点で「これ、面白いんじゃね?」……と思っている自分の業の深さを感じていますw
■お笑い芸人ピース又吉直樹の Youtube チャンネルでやっている「インスタント・フィクション」シリーズが面白いです。
いわゆる「ショート・ショート」的な400字以内の作品を、又吉さんが「骸骨万博」(しゃれこうべ・ばんぱく)というキャラに扮して深読み解釈していくというものなのですが、さすがに芥川賞作家、その自由な発想は脱帽物で、いつも楽しみに見ています。
何でこんなことを書くかというとですね、今月頼まれている講演(ごくごく小規模のものです)が二つあって、そのうちの一つでこれをネタにしようと思っているからです。
それが某地方都市の「お母さん読書会」で、講師を務めて三年目になります。聞いてくれるのはわずか6~8人の主婦の皆さんです。
恐らく平均年齢七十歳を超える人生の大先輩なのですが、これが油断のならない人たちです。
主婦と言って馬鹿にすることなかれ、三十数年続く読書会で鍛えられている方々なので、読解力はもちろん、会誌を読むとその文章力も生半可なものではありません。
去年は、大正の初期に某高等女学校の女子生徒が書いた「修学旅行記」を題材にしました(現在は共学となっている、某名門女子高の生徒会誌を編集した際に入手したもの)。
書いた女子高生は小説家志望だったのか、生々しいエス(今でいう百合)趣味を前面に押し出した、事実と妄想が混然一体となった非常にエキセントリックな内容です。
ただし、原文は筆文字で(一応は楷書体)、変体仮名(蕎麦屋の看板の「そば」を思い出してください)がバリバリに使われている文章だったので、奥様たちが果たして読めるかどうか危ぶんでいたのですが、古文書解読研究会に所属しているという奥様が、全文を完璧に訳されて待ち受けていて、その点では返り討ちに遭いました(無念)。
とにかく地方の文学賞の小説・随筆・詩歌部門を受賞している人が何人もいるので、下手な話ができないのです。
今回は、
①井伏鱒二の『山椒魚』における末尾の会話削除問題
②「インスタント・フィクション」(女子高生がゴミ箱に捨てられている話)における又吉解釈
③村岡花子訳「赤毛のアン」で、マシューが亡くなった夜にマリラがアンに直接愛情を告白する重要な場面を、村岡が丸ごと削除した問題
を、三題噺のようにして取り上げる予定にしています(我ながらマニアックだ)。
私は人前で話をするのが大好きなので、古強者の奥様たちを相手に勝利できるか、今年も大変楽しみにしています。