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【幻獣召喚士】今後の予定について

■「幻獣召喚士」の完結で、さまざまな方からご意見・ご要望をいただきました。
 作者としては、ちょっとお休みを入れてから、帝国を舞台とした番外編でも書こうかな、とぼんやり考えていたのですが、予想以上に続編を望む声が多く、少し驚いています。

 ですが、もし続編を書くとしても、これまでとは違ったものにするつもりです。
 すなわち、召喚士ではない新しい主人公による物語です。
 ただし、物語世界は幻獣召喚士を引継ぎ、ユニやマリウスなどの懐かしい面々も、時々顔を出すことになります。

■まだタイトルは決めていませんが、新連載開始は11月1日(火)、従来どおり三日に一回のペースで更新していく予定です。
 まだ構想段階で一文字も書いていないので、それまでの一か月で、ある程度のストックを作っておこうと思います。

■以下はまったく関係のない余談です。

 幻獣召喚士を連載していた時は、もうファンタジーはお腹いっぱいなので、今度は史実に基づいた歴史小説を書いてみようと思っていました。
 江戸時代に実在した囲碁棋士、天保四傑の筆頭と謳われた太田雄蔵を主人公にした話です。

 当時の囲碁界は、本因坊家をはじめとする四つの家元が、名人位をめぐって激しく争っていました。

 徳川将軍の御前試合である「御城碁」に出場できるのは、この四家の当主と跡目に限られるのですが、七段(上手)に昇段した実力者は「外家」として例外的に出場が許され、棋士にとって最大の名誉となっていました。
 太田雄蔵は四家元の一つ、安井家の門人でしたが、七段昇格の話が持ち上がった時に有名な事件が起こります。

 棋士は平民ですから、普通であれば将軍の御前に出ることはおろか、江戸城への登城も許されません。
 そのため、御城碁に出るためには頭を剃り、僧侶の体裁を取らなければなりませんでした。
 太田雄蔵は粋な江戸っ子で、大変な美男子であったそうです。
 雄蔵は「扶持(給料)はいらねえ。御城碁に出られなくてもいい。だから七段の位だけくれ。髷(まげ)を落とすなんて野暮は、まっぴらご免だ」と言ってのけます。

 これは前代未聞のことで大騒ぎとなりましたが、結局四家元は雄蔵の七段昇進を認めざるを得ませんでした。それくらい彼の実力は抜きん出ていたのです。
 ※当時の七段は実質的に最高位で、八段は準名人、九段は名人のみに許された特別な段位でした。

 やがて家元の筆頭、本因坊家に天才児・秀策が現れます(「ヒカルの碁」にも出てきますね)。
 黒番無敵の秀策は、御城碁十九連勝という前人未到の記録を打ちたて、彼に立ち向かおうとする者はいませんでした。
 ただ一人、秀策より十二歳も年上で、棋士としての盛りを過ぎかけていた雄蔵だけが「俺は秀策に負け越していない」と豪語し、この若き麒麟児と三十番碁を争うことになります。
 絶頂期を迎えていた秀策は、雄蔵を先相先(せんあいせん=一段差)にまで打ち込み、さらに追い詰めていきます。先(せん=二段差)になれば、勝負は決したと言って過言ではありません。

「天保四傑の雄蔵もこれまでか」

 世間の誰もがそう思っていた第二十三局、雄蔵は渾身の力を振り絞って白番持碁(じご=引き分け)に持ち込みます。
「無敵」と言われる秀策の黒番を抑え込んだのです。

 これは大変な出来事でした。
 囲碁は先に打つ黒番が圧倒的に有利です。そのため現代では、黒は白に対して六目半のコミ(ハンデキャップ)を出して勝負の公平性を保っているくらいです。
 江戸時代の公式戦にコミはなかったので、白番で引き分けたというのは、現代で言えば文句なしの勝利に当たります。

 雄蔵はこの白番持碁に満足したのか、三十番碁の続きが打たれることはありませんでした。

 いつかこの物語を書いてみたいです。

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