自分は今、一応は文章で身を立てていて、それなりに努力も苦労もしているが、好きなことで金を稼げているので、幸せでもある。じつは高校入試も作文だけで推薦合格しているし、おそらく自分には文才だけはあるのだなという自覚が昔からあった。

ところが、文才を持て余してしまったという面もある、、、うまく表現できないのだが、ざっくり言えば、若い頃の自分は「まだ文章で身を立てるのは早すぎる」と思っていたようだ。むろん、若者の思い上がりであることは言うまでも無い。

三島由紀夫は俺の100倍くらい才能の溢れる大文学者だが、何故か小説だけはいっこうに面白くない、、、思想や文芸評論や戯曲にこそ、三島文学の真面目があるというのが俺の持論である。何故そうなのだろう?とずっと考えていたのである。

おそらく三島は早熟の天才だったが故の深い落とし穴に嵌まっていた、というのが俺の推測である。重ねて、うまくいえないことをあらかじめ断っていうのだが「早熟の天才は大成しない」という謎の法則が、文学の世界には確かにあるようなのである。これは、三島の最期とも無関係ではない、、、どころか、裏の真相だろうと、俺は信じている。

俺は10代後半から20代にかけては、文章で金を稼ぐことに禁欲的だった。あえて自分が最大限、苦労するであろう道を選び、俗物として生き、俗にまみれた。それが正解だったかどうか?それはよく分からない。

ちなみに実業や、スポーツ、芸能の世界などの通俗一般の分野でも、早熟な人は必ず出てくるものだ。驚くような偉業を為すには、上記で挙げた文学とは異なり、早熟でないと駄目らしい。かのゲーテも「偉業を為すには若くないといけない」と名言を吐いている。

ちなみに金持ちになる人の人生の傾向という統計データがあるらしく、それによると30歳の時点で、ある程度の資産形成ができていない場合、金持ちになる可能性はほとんど無いと、本田健の本に書いてあった。言い換えれば、20代で人の風呂敷の総てが、出てしまうということだろう