なんてぇのは、ふてぇ言い方だとアタシャ思うんですがね。時間を処分するなんて豪気を通り越して、お天道様にツバ吐きかけるような考え方だ、と。
人間生まれたからにゃあ、一分一秒を大切に生きなきゃあなりません。処分なんて、そんな言い方で時間を過ごしちゃあなりませんな。
立川談志師匠が生きていらっしゃったら、そんな事を言っていたかもな、なんて事を思う昨今であります。
可処分時間という考え方が広まってきたのはまあまあ最近な気がしますからね。談志師匠は生前にそんな事を言ったのかどうか、私は知りません。
さりとて、見たくもない広告を見せられている時間にモヤモヤと「無料コンテンツを楽しむ為とは言え、時間を奪われているなぁ」と思う事が年々増えてきていますから、自分が自由に使える時間を思って『可処分時間の使い方』なんてものを意識せざるを得ないもんでありますな。
さてさて、そんな感じで『時間を奪われる』という意識を持っている私たちでありますが、『私の為に時間を使って下さっている』という意識もまた、持つものでございますな。
カクヨムユーザーにとってのそれは、【私の為に時間を使って】【コメントを書いて下さっている】【レビューを書いて下さっている】になるんですかね。
もちろん【私の書いたものを、貴重な時間を割いて読んで下さっている】という前提もあるのですが、【読む】という有難い能動作業の後に、さらに、コメントやレビューを【書いて】下さるというのは誠にありがたい、尊いものであります。みなさま、いつも、本当にありがとうございます。m(_ _)m
【ウザい広告を見せられる】と【嬉しいコメント、レビューを書いて下さる】は【可処分時間】という概念において真逆のベクトルのものなのですね。
同じベースのものを真逆の矢印で感じ取った時、私たちは『ウザい』『ありがたい』と真逆の気持ちを抱く訳です。
そんな事を考えていますと、見たくもない動画広告を見ている時間に『あぁ、昨日コメントを書いて下さった〇〇さん、嬉しいなぁ。ありがたいなぁ』と思えるようになるのかもな、なんて事を思うのです。
まぁ、広告はウザいけど。
ほんでもって、最近のネット広告の何がウザいって、ユーザーに最適化されているから、昔みたいに『あのCM面白いよね』とか『あの広告のアレ、ないよね』と気軽に人に言えないトコですよね。下手にそんな事を言ったら『オマエ、普段なに見てんねん。変なもん見てるからそんな広告見せられるようになるんやぞ』と言われちゃいますからね。
あー、あのエロ広告がマジでウザい。