• 現代ドラマ
  • 現代ファンタジー

男が本当に好きなものは二つ

危険と遊びである。男が女を愛するのは、それがもっとも危険な遊びであるからだ。

という格言が目に止まった。ニーチェの言葉らしい。
なるほど。シニカルな見方だと思うけど、真理のように思える。

そして、過去の偉人の名言・格言集というのも、小説のひらめきを得るのにとてもいいものかも知れないなと思った。

また、ニーチェの言葉にこんなものもあるらしい。
『孤独な者よ、君は創造者の道を行く』と。

創造の孤独は時代を超えて当たり前のようですね。
それは『馴れ合いの中で傑作が生まれる事などない』と言い換える事がもしかしたら出来てしまうのかも知れません。

創作が孤独なのは当たり前。
たぶん、それはそうなんやろなー。
でも、けっこうしんどいよね。孤独に書き続けるのって。

2件のコメント

  • 『安心して潜りなさい。私達は桟橋で、お茶でもしながら待っているから』

    私が心の師として仰ぐブレイク・スナイダーの1節の要約です。

    毛嫌いする方も居られると思われる、有名ないわゆる物語創作系ハウツウ本なのですが、物語を書き始めて間もなくこの本に出会い、暗闇の中藻掻いていた私はこの言葉にとても救われました。

    ブレイクはこの著書の中で、創作活動を深海に潜ることで例えいて、上の言葉を私達に贈ってくれています。

    常々思う事があります。書く事に限らず、創作活動全般的に渡り、内外問わず対話から始まるなと。

    特に自分との対話はいい事ばかりではなく、時に目を背けたくなるとこもあります。

    だけれど、そこに居る。唯それだけで救われる事もある、本当の意味で真に分かり合えなくとも。そう思わせてくれました。

    まあ、私は未だ深淵には潜って行けず、浅瀬でパシャパシャしているだけですが。
  • 論理の展開や、一問一答の禅問答、自己や事象の当たり前を疑う目、これらを内なる自分に向けてやり続けるのって、おそらく不健康な精神状態になりやすいんじゃないかな、って思います。特に、私の場合。

    深く潜る事も大事ですけど、家族や友人とのライトでポップな語らいがあってバランスが取れるのかも知れませんね。

    【深く潜る イコール そこ(自分の中の内なる世界)での体験を言語化する】ではないんでしょうね。
    潜る→言語化する→ひらめきを得る→創作に取り掛かる→小説と言う創作はそこで再度言語化しなければならない→そして推敲とは第三者視点で見直す事だから、深く潜るとは真逆で、表層で味わい、表層で判断しなくてはならない……みたいな何段階もの精神修養を経なければ小説って書けないものなのかも知れません。

    ちょっと自分でも何を言っているのか分からなくなってきました。

    小説を書くのって難しいですねー。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する