2月23日の朝日新聞の天声人語に、AIと小説に関する事が書かれていました。
「人を感動させるナニカってのは、AIには作れない」みたいな事を薄ぼんやりと私は思っていましたし、機械とAIに仕事を奪われない職種は人を感動させる仕事であるだろうと思っていましたが、絵画も小説もAIにとっては難しいものではないらしいです。
AIは膨大な情報を取り入れてそこから学び、そして、既存にないナニカを作り出す事を短い時間で成し遂げてしまいます。
人類には決して出来ない事を易々とやってのけるのがAIなのでしょう。
しかし、AIが作った絵画や小説で、人は感動できてしまうのでしょうか。
……出来てしまう可能性がとても高い。
心を打つ表現というのは、その裏にその表現を行った人間の人生が乗ってこそ、なんてことを思います。また、他方で、私は常々【誰が言ったか】よりも【何を言ったか】に注視した方が人生は華やぐと思っています。
AIの書いた小説を読んで感動した後に、その小説の作者がAIだと知った途端に「なんだよ、AIが書いたものかよ。感動して損した」と思ってしまうのは、私の生活信条に反するものなのでしょう。
でも、小説は、人間が、生きている上での様々な苦悩を経た後に産み落とされたものであって欲しいと思ってしまいます。
AIの進化が進めば進むほど、人間の不完全さ、ダメさが魅力になるような気もしますが、人間の不完全さやダメさこそが一番大きな魅力になってしまうのも違うなと思います。
なんかもう、【この分野におけるAIの研究は国家管理の下でしか行ってはならない】みたいな法律がいるよなー。芸術とか、文学とかの分野で。