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昔のガキ使のトーク

なんかを聞いていると、松本人志がとても桂枝雀をリスペクトしていた事が分かります。

松本人志の話芸は、そのひらめきの瞬発力で一世を風靡したと思われているかと思いますが、他人を笑わせるワードの組み合わせの妙だとか、瞬間的なひらめきってものは日々波があって、日によって出来の良し悪しがあったはずなんですよね。

そんな日々の出来の良し悪し、波のようなものを客に感じさせない為に、おそらく彼は、【こういった抑揚の語り口調がウケる】とか、【内容がイマイチでも間が良けりゃウケる】なんて感じの、その日のひらめきに左右されない”笑わせる技術”を高めていたと思うのです。そして、それが枝雀さんの喋りを研究して取り入れる事に繋がっていた、と、私は思うのです。

私はどうだろう。星新一と伊坂幸太郎の作品をこよなく愛していますが、彼らを研究して取り入れているという程の事はしていませんね。

ほんでもって、小説でも入ってきやすい文章で書かれる怒涛の展開、みたいな部分は人をグッと惹きつけますが、そこに至るまでの、その怒涛の展開を見せる為の、地味な部分の描写の地力と言いますか、そこんトコの技術力って大事なんでしょうね。

ひらめきがイマイチの時の松本人志を支えていた笑いの技術みたいな、そんな文章力の基礎。

そんなトコロにも意識を向けていたいものです。

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