好きな名前って、ありませんか?
わたし、またやらかしました。
漢字が違うからいいやってことにしておいたけど、
登場人物、同じ名前にしてしまった……
名づけ、苦手。
直そうか悩み中。
(でもきっと直せないかも。むむむ)
*
ヒニヨルさんの『まいにち』
https://kakuyomu.jp/works/16818093082563645868のゴールデンリトリバーの話
https://kakuyomu.jp/works/16818093082563645868/episodes/16818093083509012739を読みました。
まず第一にタイトル!
今書いている話に「ゴールデンリトリバーに花束を」という回があるのです。
運命だー!(何が?)と思いました。
さて、内容を読んで思ったこと。
これ前にどこかで書いたけれど、
わたしは、人との距離(身体的な)が近いのって苦手なんです。
だから、海外ドラマとかでハグとかしているのを見ると、あれ苦手ー
って毎回思う。
わたしは外国人にはなれない(ならなくていいけど)。
でも、最近、日本人でもハグがはやっているから(西洋化している)なあ、とも思う。
友だちが「パーソナルスペースが広くないと駄目なの」と言っていて
そうそう、わたしもそう、と思っている。
だから、学校の体育館で集団でやる何か、というのは、そもそもあの雰囲気が苦手だった。
ゆえに、人混みも苦手。
よく知らない人だから、というのもあるけれど、
わたしは友だちだって思っている、親しい相手とでもぎゅってするのは苦手です。
そこには一定の物理的距離がないと。
子どもを生んで、体温でくっついていたことがあったので
忘れかけていたけれど。
すっかりおばさんになったので、くっつくこともない状態になったので
忘れかけていたけれど。
ともかく、小さいころから、物理的距離が近いのが苦手でした。
でも実は、心理的距離が近いのも苦手なのかもしれない。
わたしの周りには、バリアがいくつもあって、
そこは決して入り込んで欲しくないのです。
物理的にも心理的にも。
ということを、昔は強く思っていたなあっていうことを思い出しました。
*
あとはね、
浅里絋太さんの「作劇法に注意! 小説は映画じゃない」
https://kakuyomu.jp/works/16818093083505085063を読んで気づいたことがあります。
浅里さんの書くところの「ハコガキ」をプロットと呼んでいたかも、と。
でも、わたしが台詞を書くのは「最終的に」じゃなくて、一番最初なんです。
ノートってよく言っているけれど、ノートに何が書いてあるか、
というと、浮かんだイメージを一番最初に書いて、調べたことも書いてあって、
それから、台詞や、章ごとの書き出し部分なんかがたくさん書いてあるのです。
これを全部書き出して、構成を何度も組み直して、それから書くわけです。
ショートショートだと、既に頭の中にある場合が多くて、
短いから終わりも見えているので、下書きなくてOKなんです。
でも、やはり物語の長さによって、ノートの分量は異なります。
最近、長編は、ノートとリングファイルを使っています。
ノートはイメージの集合体。
でも、構成も考える。同時に台詞も思いついたものは全部書く。
結構たくさん書く。台詞だけじゃなくて、わりに地の文も書いてある。
それを順番入れ替えたりして、最終的なプロットを作る。
この「最終的なプロット」と「人物像」をリングファイルに入れているのです。
順番が入れ替えできるのがいいなって思ってます。
書き変えたり書き加えたり、新しい人物を入れたりしながら書いています。
10万字だとノート二冊分くらい、何か書いてあります。
フリクションのインクがすぐになくなります(笑)。
そんなわけで、わたし、どうも、シーンごとのハコガキなるものを先に作って
そのあと入れ替えたり、或いは台詞を変えたりしているのかも?
と思った次第です。
(間違った解釈かもしれないけど。)
では、今邪魔されないので、ちょっと書いてきます。