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ゴーレムの人工魂魄について――生命に魂はあるか

初期の方のゴーレムの人工魂魄の説明を書き直してます。この部分はかなり初期に書きためていて、うっかりやらかしてたので直しました。

修正後『人工魂魄の核は初めは無色透明で、ゴーレムが年月を重ねると様々な色、インクルージョン、パターンを生み出す。伝統的に魂魄とはいうが、生命の脳の原始的なシステムを魔工学的に再現した集積回路の一種で、現れる模様は回路が成長することによる年輪のようなものだ』

以下、作品解釈に若干触れるので苦手な方はブラバ推奨。




こんな細かいこと何でこだわるかというと、神術の説明をダレンがするときに「魂なんてないからな」つってるんですよね。

これは神術が万能ではない反面「魂なんてないなら脳が破壊されたとしても構造的な再現を脳に完全に行えるなら、どうとでもなるんじゃ?」という恐ろしい想像をさせるための前提になってます。

現実にはこれは不可能です。
何故なら神術が参照できるのは DNA にコーディングされているような情報だけで、後天的に得た変化は引っ張り出せないからです。

魂があるかどうかというのは、SF や サイバネモノでテーマになるような『機械化した人間に同一性はあるか』という問いにも近いです。この辺りは一般向けで有名な作品でも時々テーマになるのでわかりみが深いのではないでしょうか。

ダレンは、脳は破壊されていませんが生命の危機に及ぶ重傷をうけて、一度神術で蘇生されています。この蘇生というのはダレンがリーシャに語ったように通常の怪我を治すのと仕組み的には何ら変わりません。規模がただ段違いで、それを見た人が「やべー!生き返った!」と思うほどの修復規模だったら畏怖も込めて蘇生と俗に呼ばれてるだけです。「魂なんてない」ですからね。

毛玉、ダレンの帰りを待つの回で触れているように「魂なんてない」と言い切るダレンでさえ自己の連続性について若干の曖昧さを抱えています。むしろ、抱えている、そしてジャスパーの神術に対して絶対的な信頼があるからこそ「魂なんてない」という強い言葉を使ったのかもしれません。

近年、これまでバラバラ気味だった心理学・脳科学・AI研究(計算機科学)は距離を近めることで『感情とは何か』みたいな問いについて科学的なあいまいさのない解答が可能になってます。

動物、わたしたち人間も含めた脳の仕組みというのは非常に合理的です。AI 研究者が「こういう式をたてて、こういうシステム作ったらうまくいくぞ!」と見つけたロジックが、脳科学側がニューロンの活動を観察して発見した仕組みと一致するくらいにはです。これらは相互に成果を取り込むことで、これまでなんとなくやあいまいな理解になっていた分野をクリアなものにしています。

ゴーレムも同じです。
ゴーレムはよくわからないなんとなくの仕組みで生物的に振る舞っているのではなく、我々と同じ緻密で合理的で、自己成長が可能なシステムをもつことで結果的に生物のように見えている――繁殖こそしないが、精神活動は生物と変わらない存在です。

(まーなので、シャルロットの留学先、メルジアでは倫理的にどうなのよ!で揉めてるんでしょうね。科学よりの先進的な国だからこそ「俺たちとなんも違わないのヤバくね? そんなの作っちゃう魔工学やばくね?」なるんじゃないかなぁ。丁度今我々の世界で AI って規制いるんじゃね? と著作権的な理由ではなく恐ろしさから考える人がいるみたいにね)

全くロマンチックさに欠けるでしょうか?
あくまで第一の読者としての考えですが、俺はそうは思いません。

魂がないからこそ、ダレンの連続性は証明されるし、仮に魂に似たものがあるとしたら脳と身体に刻み込んだ全てです。

魂がないからこそ、リィンが毛玉を自分達となんら変わらない生き物として扱うのは、科学的にも大人からみても全く馬鹿げたことではないのです。

そんな感じで、完結も近くなっているので、初期のうっかりを見つけたらちょこちょこ直すかもしれません。

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毛玉ゴーレムの世界での話であり、魂があるからこそのドラマも深淵さもあるので、そのへんは作品によりけりです!

加えて、表現は読者それぞれの内にうつされて完成するものであり、そのプロセスは作者に縛られて良いものではないので、このノートに書いたこともあくまで第一の読者としての解釈になります。

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