久しぶりに本気でスコップしようと色々巡ってた。
ごぼうごぼうごぼう、ごぼ、ごぼ……
あかん!
ごぼうに毒されてる!!
(ごぼうレビューかきました)
ごぼうの作者さんすごいです。
難しい言葉を一切使わず、日本語がうまい。とにかく、平易でうまい。
エッセイ読むとものすごい読者家なのが想像できるのですが、知識や経験を鼻にかける感じが全くない。
俺には想像できないような引き出しの深さから選び抜かれたからこその文なんだろうな、なんの飾りのないように見えても。
俺は絵や音楽や文やらあらゆる表現というのは受け取り手の中で、それぞれの捉え方をされてインスタンス化されるところまで含めて表現だと思ってて。それを作者は(作品によって多少の誘導はできても)読者の脳内を縛ることはできないし、表現の与えた最終形は人の数だけあるのが表現のいいところだと勝手に信仰してるんだが
この作者さんはそこらのスタンスがカラッとしてはっきりしてるのもいい感じだった。それに読者の多様な受け取り方をめちゃ楽しんでおられる。
こういう人には安心してアホみたいなレビューもかけるしな!
ごぼごぼごぼうこぼ……
加えてあらゆるジャンルに寛容で、純文学からなろう系まで、果ては二次創作に夢小説にまで詳しくて、意識高い系の嫌な感じが全くなくて、実際に色んなジャンル書いてて作風も広い。しかもその殆どが、星の数ざっとみても中堅の位置にあってハズレがない。
おそらく見えない部分でものすごい勉強されててさまざまな文化に触れてるんだろうなーという豊かなんだろうなー音楽にも詳しくて海外旅行もたくさんしてそうだし素敵な生活してるんだろなという、俺のクソみたいなルサンチマンが刺激されかねんのですが、それ以上に「ごぼうごぼうごぼ……」されたのでルサンチマンどうでもよくなった。
この人の文の自然体の上手さ、水のような感触はわりと俺の思うところの理想形の一要素かも。
まぁ、人生経験でかなう要素がないので、表面上だけでも勉強させてもらおう……
♦︎
以前、知り合いと光属性の創作者と闇属性の創作者がいるという話をしたことがある。
その分け方でいくと、自分は光属性だと思うのだが、強い光はそんなに好きではない。見ててちょっと疲れるから。
薄汚れた部屋の歪んだ鎧戸の隙間から差し込んで、舞い上がる埃を青白く浮かび上がらせる一筋の光みたいなやつが好きなので、光に満たされたところじゃそんなのは見えないわけだ。
絵でも、眩しさを感じさせるには白を使えばいいってもんじゃなくて、周囲に光が漏れ出るさまとか反射や回析の影響に人は眩しさを感じるのだ(特にダイナミックレンジが自然界より限られた絵の中では)
まぁ、なので光属性なんだけど光のために周りを暗くしがちなんだよな。
短編書こうかなーとプロットねってたんだけど、気を抜くと一筋の光以外をとにかくボコボコにしがちで、これはあかんってなる。
バランスが難しい〜
そう考えると、リィンと毛玉ゴーレムの毛玉の役目ってほんとにバランサーなのかもなぁ。その毛玉は何の役に立つの!→い、癒し? は半分ギャグのつもりだったのに、実際そうだった気もしてならない。