【追記】うわわわ、審査員賞を戴いてしまいました。
稚拙な文章でしたが、講評してくださった運営様方、参加者の皆さま、ありがとうございました。
自らの場にはなりますが、厚く御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
やっぱり読み手からの具体的な講評のある作品って、すっごく勉強になります。課題を見つめ直し、より良い執筆のために頂戴した言葉を生かして、作品制作に取り組んでいければと思います。
改めて、ありがとうございました。
ボーナスアート(たいしたやつじゃないけど)、ちょっと待ってね
https://kakuyomu.jp/works/16816927862122550932第一回遼遠小説大賞~
文学的挑戦(当社比)って何だよ!? と悩んだぜっていう話
さあさあさあさ、あの尊敬する辰井先生が、企画をお始めになりました。ひと月前(執筆時)の告知から注目していました。「う~ん、これは。辰井先生だからこそ出品したいなあ。」と思い立ち、参加させていただきました。
ただ、当初の告知を見て受けた印象は、「どうやら、遼遠をテーマにした小説賞のようだぞ」と。「小説はどこまで遠くに行けるかに、頓智ではなく真正面からぶつかってこい」と。バックでゴゴゴゴ……なんてカタカナが漂っているわけです。
僕は実は、文学は学生時代にほとんど取り組んでいないんです。専門は経済や制度論ばっかり。哲学と宗教学はほんの少しやりましたが。そのため、手始めに、「どこまで遠くにいけるか」とはなんだ、と考えました。
「遠く、っていうのは、物(観測者)と対象との距離が離れていることだな。遼遠と言うからには、それを突き抜けて小説で表現する必要がある。いわばほとんど接触不可能な“隔たり”ってこと。
もしそうなら、どんな“隔たり”が考えられるだろう。
空間的“隔たり”、時間的“隔たり”…これはテーマが身近だから、文章力が試されるやつだな。
社会身分、社会的立場の“隔たり”…これもそこそこ書きやすい。身分違いの恋、ああいいですね~それ自分で書くより読んでみたいな。
まあ、表にひとつの分かり易い“隔たり”を置いておきながら、それを仕掛けにもっと巨大な渦のような“隔たり”を仕込んでおくのがプロットとしては堅実なんじゃないでしょうか。
この小説賞、いかに“隔たり”で魅せるかが勝負や!!(バァァーーーーン!!!) 」
はい、爆死。
いざ企画が始まって、蓋を開けたら、
「もっとお前の“文学的挑戦”を見せろ!それが“隔たり”だ。中心に文学的挑戦を置いて食わせろ!」
仰天しました。
遼遠をテーマに文学的挑戦をしろ、ではなく、文学的挑戦で俺たちを遠すぎると言わせてみろ…
どひええぇ~~!?
あぁいいんですけどね。僕側の勘違いな訳ですから。
ただ、難しいんですよ。先述の通り、私は文学をやらなかった。学問的な形でその影を追う、ということをやらなかった。だから学際的な文学の定義や、文化史的な既存文学の沿革を知らない。この目に浮かんでこないのです。なので、企画の始まりにあたって
「え、文学的挑戦とはなんだ…?これ踏み込んでいっていいのか?」
となりました。いやあ、いやあ。
(ただ、講評5人の方々からの一言でも「文学的挑戦って何だよ」みたいな感じがあったので、そこは少し気持ちが和らぎました。)
それでもって、僕個人はカクヨムやその他公募で、おとぎ話とか、寓話とかいう物を専門にやっています。こと児童文学や童話といった領域の大切なことって、ストーリーやオチの突飛さが求められているわけではなく、むしろベタさの中に感情の盛り上がりを演出する義務、作品の持つ後読感が、人格の成長と完成に良い一助を与える、という理念があると思っています。
いわゆる「後読感操作」です。
まあここは少し語りたいところですが、割愛して、
もうキモい文体を作ろうと。
導入以外のプロット更改。
ひとつの作品の中で「伝えたいこと」をぶん投げよう。
⇒テーマ性の錯綜(不統一)
でもそれだと、ただの群像劇とあまり変わらないよな
後読感も投げよう。⇒オチの分岐⇒読み順のマルチ化
誰もやってないことをしよう。孤独に深掘りしてみよう。
やってみようよ~♪Lu~♪俺が挑戦って言い張ったら、もうそれでいいんだよ~♪Lululu~
「都合がいい。あまりマルチジャンルって検索しても少ないみたいだな。マルチエンディングも小説と言う媒体では敬遠される風潮がある。」
はい、孤独な文筆作業でした。トホホ。
でもこれを通して成長できたのかなあ、僕。
でも、アウトプットという表現力向上だけが成長でなく、インプットも成長(むしろインプットが成長)なところがあるので、この企画を通した他の参加者様の作品を、Read(lead)ではなくWatch、つまり受賞目指して切磋琢磨する、その身内側から観させて頂くことにしましょうかね。
いや~僕も食われてますね~
これ…もしかして、小説賞と言う形を取った互助会ですよね……ね?
勘のいいガキは嫌いだy(
まあ確実に誰にもやってないことを、ネット小説でやるのは勿体ない、というのは勿論そうなんです。ただ私は文学部出身者ほどには追い詰められているわけではないので。
気楽にいこうゼ、なあ諸兄。
辰井先生は以前の企画賞で『不在』を拝読し、「すっげ」と思いました。武蔵野や赤い狐緑の狸などの企画物でも僕の琴線にビシビシ触れる作品を出してきて、どれほど心を動かされたかしれません。
それで勿体ないなんて思うのは、不均衡ですね。
ここで一句
第二回 やるなら行きます 這ってでも (吐血)
あ、『もはや食後ではない』の本来のテーマは、
「知恵の木の実を噛み切る上下の前歯によって時間的・需要的に分断され、その距離が増していく、両性の『理念的尊敬』と『実技的尊敬』の隔たり」です。
ありがとうございました。