詩を描くときは、
音楽アーティストが紡ぐアルバムのような世界観を目指しています。
「それって、詩なの?」
と問われたら、「うーん」と答えに窮するのですが、
24時間常に何かしらの音楽を耳から身体へ摂取している(しようとしている)わたしにとって、音楽と言うものは身近で、なくてはならない存在です。No Music No Life.
ここ最近は様々なジャンルの音楽や流行りの楽曲を聴こうとしていますが、それでもやはり好きな音楽のジャンルは偏るものです。
Creepy Nutsさんの『Bling-Bang-Bang-Borm』が再生数3億を突破して(2024年5月8日時点)、このような音楽は普段あまり聴かないのですが、いざ聴いてみると意外に「好きだな」と思える出会いもあります。
創作する者にとって、偏食というものは良くないのだなと再認識する場面です。
ちなみにわたしの推しアーティストは、『ヨルシカ』『ずっと真夜中でいいのに。』『YOASOBI』の三大ヨルアーティストの皆さまです。
さてさて。
今回、愛を語るにあたって、tuki.さん『晩餐歌』や星街すいせいさん『Stellar Stellar』、Adoさん『会いたくて』『向日葵』、ロクデナシさん『三時のキス』『愛二咲花』の楽曲を参考にしました。この方々が織りなす世界のエッセンスが、ところどころに散りばめられています。
特に、ボカロP・ツミキさんが作詞・作曲し、様々な方がカバーしている『フォニィ』はリスペクトです。
創作なんて、所詮、贋作なのよ。
なんてね。
悪すぎる愛を憎んでる様、
と並べまして、悪愛憎様(おあいにくさま)。
↓詩集『悪愛憎様』のリンクはこちらです。
https://kakuyomu.jp/works/16818093078924710454 創作した詩の一つひとつを解説していきたいのですが、まぁそれはお読みいただいた読者様の感性に委ねるとして、
『愛』『贋作』というテーマを思い浮かべた時、真っ先の頭の中で暴れ散らしたキーワードが『フェルメール』でした。
なぜそこ……?
と自分で頭の中にツッコミを入れましたが、小説を書くために絵画の勉強をしていた時、フェルメールの描いた『真珠の耳飾りの少女』に目を奪われたことを思い出しました。
「なにこの調和のとれた絵は……」
……ほぅ……。
と、ため息。
ラピスラズリから抽出したと言われている鮮やかな群青色は、まさに鮮やかで高貴で、曇った瞳をぎらぎらと輝かせるような魔性の力を秘めていました。
なんだろう。
素晴らしい絵と目が合うと、時が止まって、呼吸のしかたをもう一度学び直すような感覚にはまります。そこで覚えるのは、まさに新世界。
今まで生きてきた自分の狭苦しい世界が脱皮して、新しい色に塗り直されるのです。
創作していると、そんな出会い、あなたにもありませんか?
今回、作成した詩の中にもフェルメールを下敷きにした世界がありますが、この詩が自分の中ではお気に入りです。
『愛』という不遜な見えない感情に対する、わたしの答えを散りばめています。
……愛に答えなんて、ないけどね。
一つ言えるのは、誰かに(何かに)愛を注ぎ込んだって、相手に理解されるかどうかは、相手が決めることです。それでも、自分を犠牲にしてでも誰かに(相手に)注ぎ込んでしまうもの、それがまさに愛なのです。(なんちゃって)
それにしても。
詩集を1つ作るのって、1万文字の短編小説並みの時間と気力と体力を消費します。
1つ1つの言葉を選ぶのに薄っぺらい神経を張り巡らせていますが、言葉の辞典を片手にひぃひぃ言っています。(このセリフ、前に書いた気がする)
1年ぶりぐらいの詩集を完成させて、とりあえずホッとしましたが、そろそろ長編小説も書いていきたいなぁ。
よし書くぞ。
月瀬澪。