タイトルでネタバレだけど、この詩は「元寇」という時代の節目を描いてるのです。
後世「文永・弘安の役」と呼ばれるモンゴル帝国こと中国「元」の日本侵攻は、ある意味不毛を極めた戦でした。
この戦いで栄えたものはなく、関わった全てが衰亡の時代を迎えるのでした。
何もなしえなかったのは敵も味方もなく、すべてが失われるきっかけになった戦禍の後を本作は描きます。
鎌倉幕府はこの戦役が決定打になり、その衰退は避けられぬものとなりました。
戦渦に巻き込まれ、食い詰めた貧困にあえぐ御家人たちは鎌倉体制に背を向け、幕府に反旗を翻すことになってゆくのです。
元は日本侵攻に失敗ののち、死去した皇帝フビライの後継者をめぐる跡目争いが激化し、その大帝国は分裂するなど混迷を深めてゆきます。
それまでの全盛期からのコントラストが際立っていて、帝国衰亡の原因が日本にあるとは言いませんがきっかけの一つになったことは明らかです。
果たして本当に勝ったのは誰か?”その”勝者無き世界に訪れるものは…、と。
過去作とは違い、歴史を題材に無常観を描く本作は、透き通った寂寥感が描けていれば、作者としては成功です。
血なまぐさい歴史の始まり。それはプレ戦国時代の先駆けになっていく、朝廷の復権に続く鎌倉政権の崩壊。そして新たなる武家政権としての「室町幕府」の勃興へとつながっていくのです。
本作を書くきっかけになったのは大河ドラマ「北条時宗」のテーマ曲を聴いたことがきっかけです。やりきれないほど突き抜けた破局を描く、救いのない寂寥感に満ちたその曲は、いっそ潔さすら感じるほどでした。
そこにはあえて悲しみは感じられませんが、不安と恐怖を感じつつも抗えない時代の津波に飲み込まれていく現世(うつしよ)の人々の無常観は相当なものです。
今でもYouTubeで聴くことができますので、ぜひ一聴を…。心が少しだけやられます。(笑)
昨今のロシアのウクライナ侵攻にも通じる世界観を感じる事ができるでしょう。