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武濤大洋

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  • 2022年3月31日

    3月のカクヨムまとめ

    3月が過ぎ去ろうとしている。 相変わらずこのノートをどう扱っていいかわからず、続け様に書いてみたり日々に紛れて忘れてみたり。 今月は、2月に書いていた近況くらいの間隔でKACを、リワード欲しさに書いては出しての1ヶ月。気がついたら全11回を完走していた。 絵描きの相棒がそれを見つけてきたときは、お題で書くこと自体が苦手な上に期間が短いしどうなることかと思ったけれども、終わってみたらまあまあよかったです。でももうこういうのはしばらくいいかな。 『悪意』と『突発性〜』の投稿をはじめました。 前者は去年末からカクヨムコンに短編を投稿する裏でガツガツ書いていたが15万字きたところで止まってしまい、後者は長年なんとなく頭にあったものを一昨年からボチボチ書いていて15万字きたところで止まってしまった。 なんだろうか、この15万の壁。 完成してからどう処理するか考える性分だったのだけれど、KACでなりふり構わず書いて出してをしている間に、投稿することで義務感が生じて最後まで書けるのではないだろうかという考えも沸き起こり、こういうことになりました。 まぁいっか、出してしまえ、という心持ちを掴めたことだけでもKACをやった甲斐があったのかもしれないし、何か間違った方向に進んでいるかもしれない。 なぜならさっそく冒頭を大幅に書き換えたくなっている。 増築を繰り返し工事の止まないウィンチェスターハウスのような製作過程を晒すことになるのかと思うと恥の多い人生です。でもたぶん、きっと直した方が効果的になる、はず、と思う。ので、どこかのタイミングで変更を加えることでしょう。 今後いろいろとお見苦しいことになるだろうけれど、お付き合いいただければ幸いです。
    • 4件のコメント
  • 2022年2月15日

    2/15:Music for Airports

    クーリエジャポンが会員限定の記事でブライアン・イーノへのインタビューを掲載していたのだが、どういう僥倖かYahooニュースに転載されて読めるようになっていた。 本文を引用しながら前置きをすれば、彼と知り合って長いIT評論家エフゲニー・モロゾフが、NFTについてのイーノの意見を聞き、暗号資産関連の技術が持つ政治的な意味合いについて語ってもらったのだそうだ。 ブライアン・イーノは暗号通貨関連の技術についても、 「『このテクノロジーを使ったら何ができるだろうか』という話で盛り上がっているわけですが、それは『このテクノロジーをどうやって使えば世界をよりよい場所に変えられるだろうか』という意味ではなく、『どうすればこのテクノロジーをお金に変えられるだろうか』という意味合いになってい」ると語り、 続いて「リバタリアン」にあふれたこの世界について、『自分に利益をもたらすものなら、それは世界全体にとっても「正しい」と自動的に考える人が普通にいます』という。 おそるべき分析力。膝を打つほかない。 NFTについても批判的態度であるが、特に『この新しいテクノロジーは「プルーフ・オブ・ワーク」といって改竄をできないようにする作業のために膨大な量のエネルギーを使っている』という意見には目が覚める思いだった。 なんだかおかしいようなと訝しんでいたことに対して、強烈な答えのひとつを提示してくれた。 今月は、旧正月かつ新月でもある歳月の幕開けに、楳図かずお→少女マンガ彫刻→おかんアートと展覧会をハシゴして頭と心をめちゃくちゃに揺さぶられ、「アート/芸術とは何か」という果てしない問いの沼に落ちていた。 そこへ現代を代表するアーティストの一人から解を授けられた気分だった。 『私にとって「作る価値がある」というのは、「世界に価値を付加できるもの」という意味です』 アートとは、そうだ。そうなのだ。 世界に価値を付加できるかどうか、なのだ。 その意味を深く、深く、自らの内側へ探り込んでいかねばならない。ものを創るとは、その作業に他ならないと思った。
  • 2022年2月13日

    2/13:『オールド』

    息抜きにM・ナイト・シャマラン『オールド』をレンタルした。 こう書いて褒め言葉で通るかわからないが、相変わらずジャンルからして何と言っていいかわからず「カテゴリー:シャマラン」で面白かった! 勧め方に迷うし勧める相手を選ぶが、とりあえず見る前の心構えとして、ホラーではある。SFでもあるが、定義が難しい。 しかし彼の映画は紛れもなくヒューマンドラマだ。毎度「人」にフォーカスしているのも好きなところ。 今回は「人生は短く、大切なのは赦しと愛だ」というのが大きなテーマで、他に「子は勝手に育つ」「家族と友達を大切に」みたいなメッセージを受け取りつつ、「うえぇぇぇ!」と怖がりながら見た。この、感情めちゃくちゃにされるところも好き。 危機に陥った時、たとえしばらくパニックになったとしても、最後は心に平穏を取り戻し乗り越えることができるのは、どれだけ自分の中に愛があり、自分と相手を赦し、状況を受け入れることができるか。 受け入れられれば乗り越えられる。これに尽きるのではないかと思った。 批評家たちはこの映画に何と言ったんだろう。困ったんじゃないかなぁ。なんだかそれさえ楽しくなる。 首を傾げる部分もあるんだけれど、それが監督の味になっていて、もしももっと整理されていたら面白くないんだろうと思ってしまう。 あと、なんとなくの印象だけど最近は子供の描き方が生き生きしてきてるような気がする。今回のトレントとイドリブの可愛いこと。 あるジャンルの構文の上に乗せながら、そこに別の視点を与えていく手法も好きだ。まだまだ拙いが、挑戦してみたのがこれ。 『峰岸大輝が死んだ』 https://kakuyomu.jp/works/16816700426151504467/episodes/16816700426151533486 「ミステリー風青春群像劇」と呼んでいるが、犯人探しをしながら読み進めているうちに、だんだんそんなことよりも友情について思いを馳せていくようになる……といいなと思って書きました。
  • 2022年2月11日

    2/11:選択肢としての風呂

    先日、知人とこんな話になった。 東洋経済WEB版に『東京の若者に風呂なし物件がじわり人気』という記事が載ったところ、それしか選択肢のない貧困層もある中で、なんでもポジティブに取り上げるのはいかがなものか、という声があったそうだ。 確かに生活に苦労している人も多く、貧富の差はますます広がるばかりだという世相は実感としてもある。だが一方で、ライフスタイルの多様化から風呂なし物件を積極的に選ぶ人がいるのも聞いている。 貧困問題に取り組むこととは別の視点として、好んでそれを選んでいる人をくさす必要はないのではないだろうか、というのが知人の意見である。なるほど。 私は別の知人からと、それからラジオ番組で、まさに記事にあるとおり、24時間営業のジムを利用しているために風呂が要らない、という話を聞いていた。 面倒な風呂掃除の必要もなく、家賃光熱費の節約にもなった。ジムで体を鍛えるため健康にもなり、またそこへ行かなければ風呂もないので生活にメリハリが出たというのである。 ジムへ行くことからして面倒になるかもしれないが、会員同士やトレーナーとの間が親密になっていけば、いつもいる姿が見えないときにセーフティーネット的な役割も果たすかもしれない。 いずれにせよ趣味は安全網になり得るだろうし、生活を工夫して楽しんでいるというその記事からは幸せがにじみ出ていた。 風呂なし物件は到底考えられないという人もいるだろうけれど、そうじゃない人もいて、まさにこれが多様性。選択肢がないのならば問題だけれども、ある中から選んでいるのなら、ひとつの生き方だと思った。 山路や吉井も、選んでその生活を楽しんでいるのだろう。 『その美しい花々に、僕は砂糖の如雨露を振りかざす』 https://kakuyomu.jp/works/16816927859566750775/episodes/16816927859566834713
  • 2022年2月9日

    2/9:自作実写化

    先日、客と店員という間柄にしては来店するたびに親しく話しているR氏と、いつのものようにかしましく喋っていたら、こんなことを言われた。 「子供の頃は時間がゆっくり流れているように感じるけれど、大人になると早く進んでいる気がするっていうのは、子供の頃はわくわくしながらいろんな新しい経験をしているからで、大人になるとルーティンでものを進めてしまい純粋に感情を使っていないからじゃないかな」 驚いた。 よくある話かもしれないが、ちょうど短編で自分が書いたことだったからだ。 まるで自分の小説が実写化したかのようで興奮してしまい、思わず自作を教えるところだったけれど、一瞬躊躇した間に話題は通り過ぎて行ってしまった。 ほんの少しの後悔と、でもそんなこと言われた方が困惑してしまうよな、という気持ち。 ともあれ、なんだかどこか繋がっているような気がして嬉しかった出来事でした。 該当作→『バルバロイで逢いましょう』 https://kakuyomu.jp/works/16816927860185695870/episodes/16816927860185703725 正確に言えば、何年か前に公開した短編集のリメイクなので、数年越しの実写化でした。
  • 2021年10月3日

    爛々と昼の星見え菌生え ――高浜虚子

    昼間あるはずのない星が、しかも爛々と見え、そこにキノコが生えていた。 虚子が滞在先の小諸の人から聞いた話だそうだ。 井戸を覗くと底に溜まった水面に星が見え、石の間からキノコが。 キノコとは実に不思議なものだ。 ご存知の通り、実体はカビと同じく菌類であり、菌糸を伸ばし胞子を作って繁殖する。その過程をややグロテスクに感じるのは私だけだろうか。 茶と緑を基調にした落ち着いた山中で、「俺は危険だぞ!」と極彩色に主張するヤツら。にょっきり現れると、一瞬心臓が波打つ。傾奇者だ。 掲句は解釈に難く、星を先に逝った俳人たち、菌を長野の若い俳人たちと捉える読み方もあるそうだ。 だが、そういった背景を知らずに見るこの句は、ただ幻想的である。 真昼の空には爛々と星。 地にはキノコ。 自分だけに見える、美しくも醜悪な、魑魅の世界。 と、そんな妄想を広げてみるのはどうだろうか。 そこはどんな色で、どんな匂いがするのだろう。 どんな生き物がいて、どんな音がするのだろう。 虚子が連れ去ってくれる宇宙をしばし感じ、心のままにそれを書く。 作家の喜びとはそういう類のものなのだろうかと思いました。
  • 2021年8月1日

    或時は空しくも見ゆ金魚玉 ー 杉本禾人

    8月になりました。 近況ノートをブログのように使ったらどうかという話になり、試しに何か書いてみることにしました。 こんにちは。武濤(タケナミ)と申します。 まず名前の由来をお話ししたいです。 急ごしらえでペンネームをつけなければならなくなった僕の夢枕に、2人の祖父が右から左から現れて、 「お前にできんのかぁ?」 「いいかい、やるなら、なにかひとつおもしろいものをこさえてみなさい」 と叱咤激励ののち煙と消えたので、そこで彼らから1文字ずつ拝借することにしました。 気に入ってはいるのですが難読なのが瑕。 実は本名も難読というか珍名で、しょっちゅう聞き違い読み違いが起きるため、苗字が難しい=普通、だったのですが、今にして思えばもっと付けようがあったのではないかとも。 さて、掲句。 彼の名前、読めます? 僕は読めませんでした。「のぎひと」って読んでました。ごめんなさい。 高浜虚子に師事した、杉本禾人(かじん)です。 金魚を飾る小さな器。軒先に吊るして夏の涼を楽しんでいたのでしょうか。 僕はあまりアートアクアリウムのよさが判らないのだけれど、金魚はそもそも観賞用に交配を重ねた観賞魚。澄んだ水の中から人の目を楽しませる存在ですよね。 あるとき、ふと、それを見ていて空虚な思いに苛まれる。 禾人が生きていた頃の夏は、どのくらい暑かったのでしょうか。 物理学者の寺田寅彦は、江戸の夏の涼しさは名物であると書いたそうです。 同じ時代を生きた2人ですから、8月朔日に「もう勘弁してくれ」と床に這いつくばる現在よりうんと涼しくて、立冬の頃には「ああ、もう秋か」なんてしんみりしちゃうような気候だったのではないかと嫉妬…もとい想像します。 禾人が感じたのは、血気盛んに燃ゆる夏が過ぎ去ってしまう虚しさか。 あるいは、水で満たされた器にキラキラと差しこんでプリズムを作る陽光と、その中を優雅に泳ぎまわって、ただ美しく、はかなく、人のためにあるだけの小さな生き物への空々しさか。 ぼんやりと眺め暮らすにはうってつけの、人の手で作り出したそれが、まるで頼りにならない形式だけで実質の伴わないうつろなものに思えるような。 最近ふと、そんなことを考えていました。
  • 2021年7月23日

    『峰岸大輝が死んだ』公開

    初稿済。 毎週金曜、1章ずつ公開中。 (全20章、11万字程度) タイトルそのまんま。 退学になった高校の屋上から飛び降りた不良少年。 彼が自殺などするはずがないという友人は、仲間のうちの誰かが突き落としたのではないかと疑う。 猜疑心で見れば誰もがあやしい。 事故か、事件か。自殺か、他殺か。 彼らは疑心暗鬼に陥っていく……
  • 2019年4月19日

    『グラデーションズ』再公開

    再公開すると、再公開した日が公開日になるんですね。初めて知った。 初公開は2018年5月1日…だったかな。 レインボープライドにあわせて、でした。 今回は5/6の文フリでこれをまとめて冊子にしようと思い、また公開にしました。 既存の3話を加筆修正し、間に合えば4話も……と思っていますが、さてさて。
  • 2018年4月29日

    グラデーションズについて

    書き溜めていた3話までを公開しました。 自分の体験などを通じて、書きたいもの、読んでほしいものを詰め込みました。詰め込みすぎてしまったかもしれません。 4話以降もぼんやり構成しているのですが、まだ形になっていません。ゆっくりと、場合によってはここまでの物語も振り返り、整頓しながら、続きを書いていけたらと思っています。
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