2/11:選択肢としての風呂

先日、知人とこんな話になった。

東洋経済WEB版に『東京の若者に風呂なし物件がじわり人気』という記事が載ったところ、それしか選択肢のない貧困層もある中で、なんでもポジティブに取り上げるのはいかがなものか、という声があったそうだ。

確かに生活に苦労している人も多く、貧富の差はますます広がるばかりだという世相は実感としてもある。だが一方で、ライフスタイルの多様化から風呂なし物件を積極的に選ぶ人がいるのも聞いている。
貧困問題に取り組むこととは別の視点として、好んでそれを選んでいる人をくさす必要はないのではないだろうか、というのが知人の意見である。なるほど。

私は別の知人からと、それからラジオ番組で、まさに記事にあるとおり、24時間営業のジムを利用しているために風呂が要らない、という話を聞いていた。
面倒な風呂掃除の必要もなく、家賃光熱費の節約にもなった。ジムで体を鍛えるため健康にもなり、またそこへ行かなければ風呂もないので生活にメリハリが出たというのである。
ジムへ行くことからして面倒になるかもしれないが、会員同士やトレーナーとの間が親密になっていけば、いつもいる姿が見えないときにセーフティーネット的な役割も果たすかもしれない。

いずれにせよ趣味は安全網になり得るだろうし、生活を工夫して楽しんでいるというその記事からは幸せがにじみ出ていた。

風呂なし物件は到底考えられないという人もいるだろうけれど、そうじゃない人もいて、まさにこれが多様性。選択肢がないのならば問題だけれども、ある中から選んでいるのなら、ひとつの生き方だと思った。


山路や吉井も、選んでその生活を楽しんでいるのだろう。
『その美しい花々に、僕は砂糖の如雨露を振りかざす』
https://kakuyomu.jp/works/16816927859566750775/episodes/16816927859566834713

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