僕が初めて読んだ村上春樹作品は『ファミリー・アフェア』だ。
いくら記憶があやふやになっている僕とはいえ、これだけは間違いない。
これを読んで、独特の語り口と会話のやり取りから漂う、現実的でありながら何故か現実感の希薄な世界に「灰色の大猿に棍棒で後頭部を殴られた」ような衝撃を受けた僕は、そのあと『羊をめぐる冒険』を読み『蛍』が入っている短編集の文庫を読み『ノルウェイの森』を読み、そうして彼の作品にはまっていったのだ。
当時まだ未婚で、特定の女の子と特定の思い入れを持って付き合ってもいなかった僕は『ファミリー・アフェア』の主人公たる「僕」に妙な親近感を持つと同時に、彼ほどファッショナブルでもなく社会を斜めから見ているわけでもない自分に、なぜか幻滅したことを、今になってもよく覚えている。
ところで、本題はこんなことではない。
さっきちょっとした理由で本棚を漁ってみたのだが『ファミリー・アフェア』の収録された本が『村上春樹全作品 1979-1989 ⑧』しか見当たらない。
このハードカバーの作品集は、僕が十数年前に会社を辞めることになった時、後輩の一人から譲り受けたものだ。だから最初に『ファミリー・アフェア』を読んだのはこの本でのことではない。
だって僕が『ファミリー・アフェア』を読んだのは会社を辞めるずっと前のことだし、それからいろんな村上春樹作品を読んで、この後輩(彼も村上春樹ファンだった)と話すようになったのだ。
この本が最初だったとしたら時系列的に合わない。だから間違いなく「別の何かで読んだ」はずだ。
だとすると何で読んだのだろう。
この作品の初出は、作品集によれば女性誌の『LEE』だ。
当時の僕は割と多くの雑誌を買っていたが『LEE』は買ったことがなかった。というか、女性誌は買ったことがなかったはずだ。
だとすると、行きつけの美容院にとても偶然に『ファミリー・アフェア』の掲載された『LEE』が置いてあり、普段美容院で女性誌を読まない僕が「偶然」それを手にとって「偶然」それを見つけ「偶然」それを読んだのだろうか。
30年ほど前の話だ。真相はおそらく闇の中だろう。
「真相」とか「闇の中」という言葉を使うのは大層すぎるが。
でも確かに僕は、30年ほど前のある日、どこかの場所で何かの媒体で『ファミリー・アフェア』を読み、それをきっかけに村上春樹作品を読むようになった。
その事実だけは、ピンボールの玉が最後に必ずホールに吸い込まれていくのと同じくらい、動かしがたい事実だ。
そしてそのことは、芦屋の古本屋で村上春樹が「デレク・ハートフィールド」の書いた色焼けしたペーパーバックの本を手に取り、文章と対峙するきっかけを得たのと同じくらい、僕の中にある「何か」を形成する要素となっている。
だから僕はこの歳になっても、たまに妻から叱責されるように、現実の中に根を貼れていない部分があるんだろう。
いつかハートフィールドの墓参りに行ってみたいと、未だに思っているのだから。