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「トラウマ修行卒業」のはずだったのですが……

今年の1月10日、「100ページ以上書いて投稿」を達成。これにて、目標オールクリア。「これで苦しかった“トラウマ修行”を辞められるヤッター!」と喜んだのに、「今辞めたら、もったいないじゃないですか」と、パソコン教室の先生に叱られた。
もうやり切ったから書くのやめようと思ったのに、卒業ストップ、一年留年。
 突然言われても、2023年の目標(修行のネタ)なにも思いつかない。「3月末までに、次の目標決めないと……」想定外に弱い私は大混乱。イライラの果て「ストレス解消に短編一本書こう」として、はずみで書いてしまったのが「魔法の国のシャーロック・ホームズ」です。10,000字なら10日で(普通は1週間)書けるので、いつものように10日分の食事の作り置きと冷凍食品を用意して、「書きますスイッチON」
 なのにキャラクターが大暴走! 1ヶ月+10日(資料調べ5日、倒れて寝込んだのに5日。私はスイッチが入ると完成するまで止まらないのです)遂に36,000字になり、卒業作品の「もし君がイエスと言ったら」がミステリーズ!の締め切りまにあわなかった。(未完・80%出来ていた)かくして、初めの予定の2022年卒業は完全にOUTになりました。トホホです。「もし君」は、来年投稿します。
 でも全力を出し切れたのと、原点に帰れた中身には満足。シャーロックさん、望太郎さんが、最後まで読んできちんとしたコメントをくれたので、感謝。これで終了。
 2023年の目標も、二人のおかげで出来ました。シャーロックさんからは、シリーズを完成させて「10万字書いて、キャラクター大賞に応募」(二次制作だから、門前払いかもしれないけど、目標として)望太郎さんからは、「文体研究」です。
 カクヨムコン8の最終選考作を、ランダムに読んでいて「喉越しのいい文体」と「喉に引っかかる文体」があるのを発見。前から気づいてはいたのですが、何故自分がそう感じるのかが、分からない。(これが絵だったら一発でわかるんですけど。あと、男性の書く女性像への違和感、女性の書く世界感との違いについても)それと、古典と呼ばれる作家達のも読み直したい。今のところ、夏目漱石の「夢十夜」と、夢野久作を読み返しています。川端康成の「掌の小説」も。私なりの文体(主にホラーの)を作るのが目標です。
 もう一つ目標。自分の体の管理をちゃんとできるようにならないと。もう虚血で倒れるの嫌です。(東洋医学でいうエネルギー切れ。胃をやられるのが特徴)10,000字の短編なら良いけど、40,000字超えると危険。「書きますスイッチOFF」の仕方を何とか考えないと。もう若くないのだから。
 

1件のコメント

  •  (ホームズ小説へのコメントの)返信ありがとうございます。
     まずそちらへの返事ですが、検索する場合に「小説」「ユーザー」「タグ」を選択する欄がある(というタイプの検索欄もある)ので、そちらでユーザー(作者名)を選んでから作者名で検索されては、と思います。
     他、「フォロー」していただければ逐次、作品が挙げられるかと思います。

     出ない場合のため、短いやつで私の作品名を上げておきます。
     『斬壺』(文章的な課題としては、とにかく文章量を削ぎ落とした。文章としてはこれ以上削りようがなく、その上で全てを表現できるよう腐心した)
     『斬屋顛末』(落語風の一人語り。地の文が無く主人公の台詞だけでどこまで表現できるか?)
     『混沌遊戯』(漫才の台本風。ほぼ台詞のみでキャラを立たせられるか)
     『空白の島と、ハザマダ ブンガク』(中編、お暇があれば。単に自信作の一つ)
    という感じで。

     さて、「文体修行」ということですが。申し上げておきたいのは「難しいのは文豪の文体をものにすることではなく、自分の文体を作り上げること」ということです。

     ご存知のとおり、ある程度絵心のある方なら「有名漫画家の絵柄をそっくりそのまま真似する」とか「その絵柄で別の絵を描く」なんてのは誰にでも出来る程度の芸当だそうでして(私は絵を描かないのでできませんが)。
     ただ、本当に難しいのは「自分の絵柄を確立すること」だそうです。……とはいえ、それは今さら釈迦に説法。

     本当に申し上げておきたいのは「『文体の確立』なんぞ気にする必要はない」「文体と文章力(絵柄と画力)は別」ということでございます。

     「自分の文体」などというものは「色々あがき回ったあげく、気がついたら何かそうなっていた」という程度のものです。なので、「本当に難しいのは自分の文体を確立すること」なんて言っておいてアレですが。気にしなくてよいことです。少なくとも今、気にする段階ではない。

     源さんは文章について「分かりやすければOK」とおっしゃっていましたが。

     そうです。

     まさにそのとおりです、貴方はすでに正解にたどり着いています。「分かること」が第一義です、それがあれば全て良し、それがなければ文体などあったところで何の意味もありません。
     
     では、文章力はどのようにして上げるのか? 
     能楽の奥義書『風姿花伝』にはこのような内容があります。「観客の目を常に自分の内に持て」。
     読者から見て分かるのか? 面白いのかこれ? という視点を常に持っていれば、自ずと見えてくるかと思います。

     もう一つは、「実力ある作家の文を真似てみる」というのもいいでしょう。
     その意味でも夢野久作先生らの文体修行、というのは有意義だと思います。ただ、意識しておいていただきたいのは「その文体がどのような意義を持っているのか」。

     ホラーを絵本調に語るのか、古文調に語るのか。それぞれ与える印象が全く違うと思います。なぜその表現を選択したのか、それを意識して読み、書かれるとよいかと思います。

     とはいえ、やはり分かりやすいこと、それに尽きると思います。前にも言いましたが、ネット上では文章はサッサッと読み飛ばされがちです。華美な装飾にこだわるより、シンプルな方が向いているかとは思います。

     ちなみに、源さんへのコメントの文体は「カレー沢薫先生の創作悩み相談の文体」と「空海の書簡集の現代語訳の文体」を意識して書いております。
     カレー沢先生の文体は「理路整然としつつも要所要所で自分を卑下するようなボケを入れ、相談相手に身構えさせない」空海のは「格調がありつつ理路整然として、噛んで含めるような分かりやすさのある文、しかも絶対楽しんで書いてる」という感じです。
     
     などと、偉そうなことをぶちましたが。少しでも参考になれば幸甚、幸甚(この締めも空海のパクりなのです)。
      
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