過去を弔って、私になる今を切り取る。記憶のオーヴァーレイ。
渚は、自分の障害ゆえに両親を悼めないことを、そのせいで起こる両親への感情の不完全さを認められずに、グレイテストバンの被害者を比較対象にすることでそれを誤魔化してきました。それとは別に、序盤の渚は幻捜課のGCや事件に対する曖昧な態度に批判的な姿勢を示しています。そういった曖昧さを認めてしまうことは、彼女にとって不完全な自分を思い出させてしまうからです。
これらすべてに言えることは、渚は両親の死をその障害によって一般的な向き合い方ができないことを、受け入れられていないということです。
記憶の不一致による気持ち悪さを覚えても、その感情は死者を悼むという行為においては一般的ではありませんし、倫理的にも表に出すべき感情ではありません。渚はそれに辟易し意図的に避けていった結果、死に関するデリカシーのなさや、憐れまれることへの忌避感が生まれていたことを三章で描きました。
そして四章で、それを克服するための哲学をホエルから学びます。
記憶とは、想起の有無に限らずその影響力を持つ。認識の外の記憶にも意味があるということです。
渚は、ホエルとの出会いとその正体を通して、ようやく死んだ両親を思い出せないことそのものを受け入れました。
すべての記憶が、それに伴う能動的感情を問わず重なっていく。それは現在進行形で行われていて止まることはありません。そして記憶は、人間同士に生まれるほんのわずかな引力のように、人間を変えていきます。
『人格』と呼ばれるものは、表出した一瞬の過去である。これが渚の語る『記憶のオーヴァーレイ』です。
どんな過去があったとしても、自分は自分にしかなれない。だからこそ、思い出せる過去も思い出せない過去も、自分の糧になっている。そう考えることで、渚は自分を受け入れることができました。
そしてホエルもまた過去から今までを積み重ねて、『鯨寺ホエル』となっているわけですが、彼女自身に孤独を癒すすべがありません。
結果論とは言え、ホエルを悲しませまいとした渚の提案は、このホエルの根本的な問題を解決する一個の手法でした。
自分が救われるために、ホエルを助けようとしている。と自虐的な告白をした渚ですが、最後にそのスタンスを変えないまま、しかし心の底からホエルの心を救おうとしたことに、彼女がこの物語の主人公たる所以があると考えています。
次回、最終話は9月27日(水)更新です。
ファントミーム・オーヴァーレイ/葛猫サユ
https://kakuyomu.jp/works/16817330660259961980/episodes/16817330664315783008 #カクヨム