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『あげくの果てのカノン』——感想 2021年1月24日

何らか書き残したいと思い、ここに書き付ける。

愛というものが持つグロテスクさ、愛する精神の異常性、その救い難さと、何よりその「愛しさ」が、この作品の語るものだと思う。

この作者は当時、弱冠24歳という若さの女性で、そのせいなのか「作中に破綻や舌足らずな部分があったのでは?」「もう少し人生経験を積んでから取り組むべき作品では無かったか?」との見解もあったようだが、私はそうは思わない。

SFマンガとしての設定や、社会というものに対する洞察は本作の魅力の本質では無く、恋する女性の、その想いの強さ、凄まじさ、そしてその可憐さが、それこそがこの作品の魅力の本質であって、それはやはり、24歳の「今」しか書けないものでは無かったか?と思うのだ。

だって、コミュ障でメンヘラでストーカーじみた地味めの主人公——高月かのんが、喜々として憧れの「境せんぱい」のことを語るシーンや、録音した境せんぱいの声を自室でヘッドフォンで聴いて顔を真っ赤にして身悶えるシーンや、その先輩のことを「すてき」と思うだけで泣いちゃうシーンが無ければ、たぶん本作の魅力は半分以下で、こんなに話題作にはならなかっただろう。

やはり、未完成な部分があっても、「今」しか書けなかった作品だと、ジャンルは全く違えども同じ創作を志す者として、そう思うのだ。

いやむしろ、それが書ける「今」、それこそ「万難を排して」書いてくれてありがとうございましたっ!とお礼を言いたいくらいだ。

素晴らしい作品。
この作品に出会えて、人生がまた一つ豊かになったように感じる。
素晴らしい、なんか人間って、やっぱり愛しいっ。

ああ、くそ、それにしても、こんな作品、オレも書きたいなあ。

1件のコメント

  •  返信が遅れて本当に申し訳ありません。
    いつも温かい応援のクリックありがとうございます。
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