この作品は、元々は、ヤドクガエルという漫画作家の「夏のたけなわ」という漫画作品があまりに素晴らしく、そのストーリーを個人的に文章で控えて置きたくて、ノートに書き綴り始めたのがそもそもの始まりでした。R18指定なので閲覧注意です。私は90年代に青年時代を過ごした世代のオッサンですが、数ヶ月前この作品を読んでひどくアイデンティティが揺らぎ、1週間ほど精神を失調しているような状況に追い込まれました。そう、私にとって、漫画とは思えないくらいの凄まじい影響力があるストーリーだったのです。その間いろんな「気付き」や「悟り」があり、短期間で復調を遂げましたが、ストーリーだけでなく、この前後の私の体験も書いて、後年自分で読んで大いに笑おう、と執筆を開始したのでした。自分のための小説です、広い意味での日記です。そして、このヤドクガエル「夏のたけなわ」を、設定と筋書きを変えて書いたのがこの挿話「境界線上の季節」です。著作権の問題が気になったせいです。大丈夫かなあ?と思いつつしかし、この挿話は自作では無いと、今、ハッキリ言って置きたいと思います。
ここから先は、またオッサンが悩む話に戻ります。この精神の乱調から回復するまでに、私が何と向き合ったか?何に気付いたか?それを「塚原ケンスケ」という架空の人物にこれから体験させて行きます。
「愛とは何なのか?」に迫りたいです。すごいなあ、大丈夫か?言っちゃって。
「預言者」を名乗る人物が登場します。オオゲサかなあ?そして、
「ドッペルゲンガー」は今の自分に、鋭く、何を突き付けるのか?
30000から35000字くらいで収まるかと、現時点で考えています。
不定期連載(更新)ですが、もし気が向いたら、読んで見て下さい。
仕事の合間を縫い、しかし力を尽くして、書いて行くつもりです。