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溺れかた

ネット上での表現は文章に全て込めたいのだが、この思考はブログに書きたい、しかしブログのパスワード等を思い出す作業は億劫なのでこの場所に記載しておく。
私は色々なことが苦手だ。なにをやるにしても出来ない。出来ないから理解できずそれでも現場では首を横に振る人間はいらないから私は不自然なタイミングでイエスマンを演じている。
誰にも頼れない。頼ってはいけない。一人でも負けない生き方を続けなければ生命は続かない。甘えることは厳禁。その結果何もレスポンスの帰ってこない一体自分は何をしているのか理解できない不思議な環境に身を置いている。
誰かと会話すること。感情表現すること。悪徳を避けて、美徳を志して、自分の手を動かすことが苦手な場所では何もしないように振舞って。
頼ろうとする心が嫌いで、全てを捧げて出来る限り考えないようにするから成長はなくなり、自分は止まってしまう。出来る限り自分を通さなければ。誰かが居れば、自分が行動しなくても世界は進行するから、まるで自分が成し遂げたやうによく勘違いして肥大化していく自意識を僕は止められない。今は小さな集団に所属しているから、少し他人に頼って自意識を肥大化しようものなら、次の場面僕に機会が訪れた時苦笑いのまま何もできず場を凍らせてしまう。今までのやり方通用しない。
集団の中で埋没し無くなること。個人の域で溺れ死んで何もかも喪失すること。どちらを選ぶかは人次第。

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