どうしても違和感があるややこしい問題でオタクがポイントになる点。ライト層とオタクは違う。ライトノベル=ライト層じゃない。根本的にライト層は小説を重要な娯楽だと思ってない。ここがポイントになる。ライト層=大衆=多数派、サイレンとマジョリティ。この巨大層の中でオタク層は一部でしか無い。ネット小説はこの一部の偏ったライト層を相手にしてるから話がすごくややこしくなる。彼らは絶対に多数派じゃない。娯楽にあまり頭を使わない層であって、本人の知的レベルとは何の関係も無い。と言うのは建前で、これは突っ込んでも意味が無いから突っ込まないだけ。趣味に対するレッテル貼り以外の意味が無いから。というか大事じゃない。今目の前で娯楽に対してどういう反応をするか?それ以外の一切の背景は情報として必要が無い。それを探ろうとするとお馬鹿な社会学者みたいな事やり始めるから私はやりたくない。
ライト層に対する分析ではラノベは解けない。オタク層の分析が必要になる。好みの偏りにナル。これがすごく難しい。彼らは流行に敏感。という事は好みが時代によって一定じゃない。これが難しい。2次創作的なキャラ文化はラノベが主戦場じゃなくなったのともう成熟文化になったので過去のような刺激で見ない方が良い。古典と言い切れないが限りなく古典に近い漫画文化の一つになってしまった。ソシャゲはやった事無いのでアニメ化されたもので見るとあれは正直分からない。アニメからは全く魅力が分からない。物語がきちんとセットになったゲームが出てきたらいずれ魅力が分かるんだろうと思う。現在私はソシャゲアニメは0話で切ってしまうつまらないアニメの代名詞になってる。これはソシャゲが悪いわけじゃない。昔はゲームとアニメは違うので相性が悪いゲームが多々あるから。違うからこそゲームだけのおもしろさがあるのでやってみないと分からない。私がわかる範囲でラノベ以外のキャラ文化はもう古典になりかけてると思う。
オタクの中で普遍的な価値と言うなら多分とりあえずはこれしか無い。なおかつキャラ自体がキャラデザを含めてすごい流行の産物なのでこれと言った定型の好みを見出すのは難しい。
オタクを好みで切り取るのが難しいのは、まだそんな話してるの?って古いオタクの好みって逆に拒絶するような部分も持ってるから。この辺りは趣味の外にいる一般人の鈍感さとは全く違う。そして一般人もそれぞれの趣味を持っていて、その中ではその他の一般人の好みとはズレル。その点から本質的に特別な人間じゃない。オタクの好みが扱いにくいのは、例えば服の流行などが良い。服を好きって人がいるとして服普通って人と比較して何が違うか?となると服全体のトレンドで話せる。でもオタクはそうじゃない。これが難しいんだ。
そこで私はミステリーは古典だとシンプルに纏めてしまう。実際ミステリーは古いんだ。ミステリーとSFが近い時代に生まれてるので、この2つは古いタイプの小説になる。ただ異世界ファンタジーなど近い時代に生まれてる。逆にファンタジー本道はリアリズム重視の小説より古い。異世界ファンタジー自体は、比較的新しい作品だと言える。それでもそんなに大きくミステリーなどと違うわけじゃない。流行の時系列ですべてを片付けるのがかなり難しい。服などと私はオタクの趣味は違うと見てる。
最初に何か?特別な好みがあって、その後流行が閉じた世界で発生している。これが滅茶苦茶難しい。異世界ファンタジーだと切り取ってしまうと問題なのは、実はゼロ年代に異世界ファンタジー不遇の時代があり、今でもアニメにおいてだけど、六花の勇者やチャイカなど純正の異世界ファンタジーは売れ筋じゃない。私はファンタジーが重要だと思ってない。軸はリアリズムにあると見ている。それじゃ話が元に戻るとなると思う。ファンタジーと言うのはリアルか?リアルじゃないか?って舞台に対する印象に強く働きかけるのが重要だと思う。何故ファンタジー一般が大きな市場として無いか?でリアルと非リアルの印象で大きく好みが分かれるからじゃないか?と。じゃオタク層はリアルな舞台の印象の作品が嫌いなの?正直難しい…。根本的には学園者と異世界転生って繋がっている。多分ゼロ年代の主役はキャラに対するリアルがあったんじゃないか?と思う。
これは私独自の言葉であまり良くない。リアリティを独特の意味で使ってる。リアリズムは一般的な言葉。私はリアリティを実感って意味で使ってる。リアルな人間が居てもその人に対して無関心ならそれは物でしかない。その人との関係には実感が沸かない。関係に対して感情が沸くか?それがリアリティだと私は見ている。リアリティのアル世界、リアリティのアルキャラは、必ずしも一般的なリアリズムのあるものじゃない。一般人はリアリズムとリアリティのズレが多分少ない。
ただしそれだとライト層の話しが壊れてしまう。あくまで印象の範囲で。頭は使わなくて良い。だから一般ライト層はリアルっぽい印象に騙されるとも言える。
リアルな印象に対して、好き嫌いで分かれて、その間が濃淡になって多くの人が存在してる。私は好き嫌いじゃない。ファンタジーを拒絶しない。リアルも拒絶しない。私には好き嫌い自体が無い。だから私はどっちも楽しめる。私は偶然オタク向けが持つリアリズムのユルイ物語が持つ出鱈目な創造性の価値に気がついてそれが刺激になって付加価値になってる。何故オタクと私が同一になるか?これは簡単で、同じタイプの作品ばかり見てたら誰でも飽きるから。そんだけ、私はそれを意識して価値として理解してるだけ。新しい面白さだと感じる印象は、私の場合0から生まれたより、単純にゴールドの存在量が少ないような希少価値で見ている。だから当然何年もして大量に掘りつくされたら私の中で価値が暴落してしまう。これが見事にオタク層と一致してるだけ。彼らが無自覚でやってる事を私は意識的に現象を捕らえている。