とある事に、愕然とした。
いや、何が。とか、ここで書くべきことじゃない。
ただ、がっかりも、した。
まあ、それは、それで。
私は、自分には文才は無い。判ってる。理解ってる。
なので、自分が書いている文章はあくまでも、アマチュアの遊びなんだと、分かってる。
でも、プロを目指す人は、遊びじゃないはず。
自分の心にあるものを信じて、打ち込まなければ文芸にならないと私は思っている。
私は以前は仕事でプログラムを書いていた。
プロでも、プログラムを書く人の中には、とても美しいのを書く人がいる。
ただ、勘違いしている人もいる。
短く短く書くのが美しいと、思ってる人もいる。
まるで、短編の詩のように。
間違いじゃない。でも、それには才能がいるんだ。
才能が無い人が、それをただべったりと真似すると、直すことすらできない、ただのジャンクコード。
本当に美しいコードってそうそう、真似してできるものではない。
それが最初から出来るのなら、その人は本当に才能がある。
沢山、沢山、書いていくうちにたどり着くものもある。
でも、それに気が付くことが出来るのは、それもまた才能。
他の人が書いていたコードをアレンジするのがとても上手な人もいた。
アレンジャーだ。
でもその人は0からコード書かせると、なんでこんなバグだらけの読めないコードを書くんだろうと思う事もよくあった。
そして、そういうコードを書く人が、自分の事を棚に上げて、テンプレート通りにやればもっと、アレンジしやすい、いいコードなのに、云々とか言い出す。
プログラムの世界では、色んな人がいた。
この小説の世界も、飛び込んでみて半年。徐々に色んな事が見えて来た。
エッセイが上手い人は大勢いた。
詩が上手い人もいて、びっくりする。
しかし、小説はなかなか、そういうのが探せなかった。
本当に、時折読める物が出てくると、顔がほころんでしまう。
まあ、それくらい礫、砂利の多い玉石混交状態。
表現を変えれば、もっといいのにな。と思う事はしばしばあるが、それは自分も同じだろうと思うと、そこはぐっと飲み込んで、何も言わない。
しかし、私は思う。
迎合する事にあまり意味はない。全くないとは言わない。
模倣も数度の習作でいいはずだ。
数回の模倣とアレンジ。
そういう練習をすれば、自ずと心の中から湧き上がってくる「モノ」が文字になって迸り、出てくるのだ。
小説とか、そういうものだと思っていた。
しかし、どうやら、そうではないらしい。
この世界もなかなかに魑魅魍魎が跋扈する、魔窟であった。