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なりかねるとか、しかねる

最近のSNSでの言葉の乱れはかなり酷く、
そうなる可能性がある事に対して使うべき「~となり兼ねません。」を「~と、なりかねます。」
とか
「~としかねません。」を「~と、しかねます。」
と、平然と両方を乱用して間違って使っている大人たちが多い。

大抵は、よろしくないことに対して使う事が多いのだが、「なりかねます」とか「しかねます」が丁寧語に見えるので、誤用してしまうというね。

10年位前から、よく見るようになった誤用なのだが、最近は平然と使う人が増えたように見えるのはSNSによる可視化の効能なのか。

まったく、ため息が出る。

~しかねる(可能性の否定、つまり不可能)、通常これは~できない。でいいのだ。
~しかねない(可能性の否定に対して更に否定)、つまり二重否定(不可能の否定、つまりそうなる可能性がある、という未来に対しての予想)で使用しているという、意識がないから、平然と間違えて、逆の意味で使う人がでるんだろうな。

もう、今の国語の授業はどうなっているんだろう。
日本語が崩壊しかけている気がしてならない。

2件のコメント

  • 学校でなく、家庭の問題。エモい、ヤバイは情緒教育の敗北ですよ。
    エモいは日本語ですらなく、意識下の自身の感情を説明することすら
    放棄している象徴。
    親が手抜きしたかネグレクトしてるだけですな。
    ハートマン軍曹風に言えば「ママの愛情が足りなかったか?」です。
  • @fts01様。

    エモいが、日本語ですらない、大変よろしくない状態であるのは大いに賛同しますが、今回、私が書いたのはそこではありません。

    大抵の場合、そうであってはいけないが、そうなりそうだという時に使うべき、~しかねません。~なりかねません を ~しかねます。~なりかねます。
    というように、真逆の意味で間違えて使う人が増えたっていう話です。

    どこかのタイミングで学んでいる筈なのに。
    あるいは学んでいなくて、なんちゃって、で、雰囲気で使っているのか。

    こういう誤用は、日本語が崩壊していく、一因に見えてならないという話です。
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