タイトルは何やらカッコいい響き
これは、とある医者をテーマとしたドラマのサントラの曲名
今日、ひさしぶりに聞きたくなってYouTubeで検索してみた
私は若いころ、二十代の半ば、志を共にした男がいた
私はスポーツの指導者を目指し、彼は医者を目指す医学生だった
そういったそれぞれ自身の道があるなかで、ふたりは『とある分野*』でともに日本の頂点を目指すべく日々研鑽していた……そう信じていた
*人間の身体や精神に関する分野の研究です。詳細はすみませんが様々な社会の兼ね合いがあり語ることが出来ません
彼は三十を前にして医者になる夢をかなえ、やがて研究者の道へ
私は三十を超えた辺りでスポーツの指導者になる夢を断念した
私は失意のなか田舎へ戻り、さまざまなしがらみの中で次第に身動きが取れなく動けなくなっていく
彼は苦労のすえ博士号を取得し華々しい舞台で活躍してゆく
その姿を誇らしく思ったが、自分は何をやってるんだと現状に打ちひしがれた
気のせいかと思っていたが、彼の態度は次第に変わっていった
大学の研究者と地方の会社員
互いの環境が大きく変わり、もはや対等な立場とは思っていないのだろう
そう感じた
そう感じただけかもしれない
それでも、心の奥では、ともに過ごした日々を忘れることは出来ずにいる自分があり、少しづつ少しづつ距離をとっていった
しかし、その関係も数年前についに終わった
ひとつのメールのやりとりを経て、これを最後にしようと決意する
はっきりとした決別の理由を見いだせるやりとりだった
私が最後に送った言葉は「ああ、わかった。では、また」なのだが
次の日の夕方、彼の連絡先からアドレスから、つながるものは全て断ち切った
いまでも彼と過ごした日々は大切なものだ
明日食べるコメが無くなったとき、彼は実家からコメをかっぱらって持ってきてくれた
ひとりインフルエンザで死にかけたとき、彼は試験中にもかかわらず自転車で私のアパートまで来てくれた、私は「うつったらどうするんだよ」と怒った
歩くたびに透き通る風という曲を聞くたびに、良い思い出ばかりが脳裏に浮かんでしまう
30年近く、親友と信じていたのは私だけなのか
彼もそう思っていたのか
全ての距離が絶たれた今は確かめることもできない
ただ風が強く日には彼を思い出す
河川敷を歩いていると、後ろから呼びかけられる気がしてならない
歩いていると後ろから呼びかけれられる気が今もする