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同性愛者を嗤い物にすること

日本の出版社が、講談社系と小学館系に分かれていることを知っている人も多いかも知れませんが、角川書店はそのどちらでもありませんが、日本の最大手出版社と言えばやはり講談社であるわけです。
白泉社は小学館系になるのですが(小学館→集英社→白泉社、の流れ)、何年か前に、白泉社から作品を出している少女漫画家、川原泉の新作「レナード現象には理由がある」が同性愛者を嗤い物にしている、同性愛者差別だと厳しく批判されたことがありました。
私は実際読んでみて、これは言い訳のしようがない性差別表現だなと思ったのですが、白泉社は注釈を入れるとか、絶版にするなどの対処はしていません。
一方、講談社は、昨年末の「はいからさんが通る」の新装発売版で、作者ともども、
https://togetter.com/li/1179013
こういう、当時はギャグとして流通していた性差別表現について、きちんと声明を出しています。こういうところがさすがに最大手だと思うのですけどね。

ライトノベルではいまだに同性愛者が「うわー変態だー」的なギャグ要素として描かれることが非常に多いですね。
それも物語に必要と言うわけでもなく、前後の脈絡を無視してでもわざわざそういう表現を入れる作者が非常に多いです。
これはラノベの主要読者層、そして書き手の多くがそうでもある若年男性層の同性愛者への激しい差別意識を反映したものではあるのですが、問題は、単なるウェブ小説ではなく、出版物となったうえでも、編集のチェックが入っていない、編集のパブリック意識が希薄な点にあります。
LGBT差別への意識改革は進むことはあれども後退することはないでしょう。
昭和40年代の著作ですから無理はないとはいえ、北杜夫が黒人のてのひらだけが白いのを見て生理的な嫌悪感を覚える云々と書いているのは現在ではたぶんそういう表現が編集の目をかいくぐることはあり得ないと思います。
それと同じ意味で、今はギャグとして許容されていても、と言うか今でさえフジテレビでとんねるずが扮した保毛尾田保毛男が復活されれば厳しく批判されてフジテレビが謝罪する羽目になっているのですが、今後、そう言う表現が許される余地はなくなっていくだろうと思います。
問題は、物語上の必然もない場面で、わざわざ同性愛者へのヘイトを表明するためだけにそういう場面が挿入されることが多いことです。
悪意の塊のような所業ですが、そういうことをするキャラクターが「善人」扱いされていたりして、その支離滅裂さに苦笑するばかりです。
こういうのは「風と共に去りぬ」の中でKKKが善玉として描かれているために、「風と共に去りぬ」自体が現代的な文脈の中でほぼアメリカでは文学史的には黙殺されているのと同じ状況を招くと思います。

作者も、ライトノベルも社会の中で存在しているということを考慮して、書き手は創作に当たるべきだと思いますね。

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