過分なレビューもいただき、恐縮です。
「異世界辺境経営記」、更新が止まっていますが、構想はあれどさてどうしたものかというところです。
連載小説向けの某コンテストにエントリー中で、一気に書いてしまえば完結してしまうので(笑)、と言うのは冗談ですが、実は本来の小説の趣旨からすれば、まあ、あらかたおしまいなんですね。大財閥にまでなってしまったので。
政治、戦争、政略に軸足を移して話を続けることも出来る、そう言う風にも書いてはいるのですが、辺境の話でもなく、経営の話でもなくなります。
実は「異世界辺境経営記」は以前、「小説家になろう」で書いた某転生勇者物を下敷きにしていて、勇者の話がメインで、経済の話は作者の趣味、余禄として展開した内容だったんですね。
悲しむべき事故で(笑)、データが抹消してしまって、それをそのまま再現するのもどうかなという感じでなんとなく書き始めた小説です。
世界観とか設定とか、正直言ってかなり行き当たりばったりです。
ただ、何か一つフラグをたてれば、それがこうならばこれはこうならなければおかしい、ということはありますよね。例えば農民から税を搾り取っている貴族、という設定があれば、じゃあ都市住民からはどうやって税を搾り取っているのかな、ってなりますよね。
商人相手に、帳簿の把握とかやっているのかしら、それってものすごく優秀で高度な官僚機構が必要になるけれど、中世レベルでそんな人材が育てられるものかしらってことになります。
現代でさえ自営業者とかのカネの動きを税務署が完全に把握するのは困難です。
商人から税をとれないなら、為政者から見れば商人は潜在的脱税者ですし、商人を圧迫こそすれ保護することはないはずです。
人頭税だったらとりっぱぐれがないですね。都市住民の人頭税は農村の二倍、三倍、などであれば、事実上、累進課税としても機能するでしょうし。
こういうのは設定ではないんですよ。理屈なんです。理屈から言えばこれをすればこうなる、こうならざるを得ないという。何か一つ決めれば、理屈でドミノ式に他のことも決まっていきます。
物語を書く人にはこういうことが気になる人もいて、気にならない人もいて、私はわりあい理屈が気になる方ですから、ファンタジーなのに理屈に縛られることもあります。
例えば主人公が王様で、チーレムで、ヒロインたちが和気藹々としているなんて、人類史上の後宮でヒロインたちが和気藹々としていたことなんてただの一度もないですね。それは理屈にはそぐわない。
ハーレムにするなら後宮のどろどろももれなくついてくるまでがワンセットです。
一夫多妻制というのは種としてのホモサピエンスの「自然の摂理」に反するわけです。一夫一婦制は単なる社会的な取り決めではなく、生物学的な根拠があってそうなっていて、それがヒトをヒトたらしめている前提条件なわけです。
子育ては、というよりも育児コストを支払うのは、生物はどれも逃げられるならば逃げたいわけですよ。魚でオスが卵の世話をする例がわりあいあるのは、メスが卵を産んで、オスが放精するという手順的にオスが後番になるからですが、哺乳類の場合はメスが必ず授乳するため、オスがメスに子育てをおしつける例がほとんどです。
一夫多妻制というのはそういうところで発生します。オスは産ませるだけ。
ヒトの場合は、育児コストが非常にかかるため、両親揃っての育児でないと子が生き延びられないので、一夫一婦制というのは生物学的な制約です。イスラム教だって9割5分以上は一夫一婦制です。
一夫一婦制だからこそ、オスからすれば「俺の女」が確保できているからこそ、他のオスと協力できる余地がそこで初めて発生するわけですよ。つまり社会というものは一夫一婦制の下でしか成り立たない。
ハーレムは、文明が富の集約を可能にしたために歪に生じたイレギュラーな現象で、反社会的な、構造的に無理があるものになります。
ハーレムを描くなら、私ならそういうことにどうしてもこだわってしまうでしょう。
それはたぶんラノベ的に求められているものではないので、私が書くものがラノベとして商業的に出版されることはないと思います。