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そう言えば、誰がどう見てもハッピーエンドって書いたことが無いかも

「異世界辺境経営記」の前身の「アーレス・ベルンシュタイン」(こういう題ではなかったが題を忘れた)を書いた時も、「豊右府末裔顛末記」を書いた時も、「なんでハッピーエンドやないんや!?」と怒られたのを思い出しました。
作者としてはそこそこハッピーエンドのつもりだったのですが。
いや、人間が生きていてね、ハッピーエンドってなんやねん、という話ですよ。
恋愛とかだったら、結婚式とかで終わればいいんですけどね、それを除けば、ハッピーエンドって、途中ぶった切りしかないんじゃないかと思います。前のめりに死ぬ、みたいな。
だって、人生は続いていきますからね。その人が死んでも世界は続いていくので。あーやれやれ、子育ても終わってあとはのんびりやろうの、ばあさん、と思っても、息子がニートになるかも知れませんしね。
「渡る世間は鬼ばかり」のシリーズ最終回みたいなものですよ。
シリーズの終わりになって、意地悪な小姑ともなんだか和解したみたいな感じになる。
でもまた新しいシリーズが始まったら小姑は相変わらず嫌味で。嫌味でいてくれないと話が進みませんからね。
なんかそんな、映画「ドラえもん」のジャイアンみたいなことをしてもしょうがないじゃん、と思うのです。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
ですか。
藤原道長だって口ではそう言いながら末期糖尿病だったわけですしね。無茶苦茶、月、欠けているじゃん、という。

結局ね、すべてに満足は出来ないにしても、死ぬときに小さく満足できるかどうかだと思うんですよね、ハッピーエンドって。
まあ、理想を言えば切りがないけど、俺の能力としてはまあまあやった方だろうっていう小さな自己満足ね。
それで言うなら、私は今まで書いた小説の主人公たちにはみんな、小さな自己満足を与えて来たなあ、と思うのです。

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