人はみな、善きところを目指して生きている。
どうしようもなく、自堕落な生活を続けていても、根底にはひっそりと向上心が息をひそめていて、堕落を謳歌する日常においても鈍痛のように響き渡る。
実のところ、人はどうしても善くありたい。
繰り返しになるが、本能に近い部分でこの感情はうずく。
多くの場合、ストレスの根底は向上心だ。
向上心の病から解放される術は、二つある。
ひとつ、ハイウェイに乗ることだ。
進んでいる感覚を自覚すれば、痛みは和らぐ。
確かにまだ自分は遅いかもしれないが、確実に進んではいる。
向上心に飴を与え、劣等感と引き換えにはなるが、ひとまずの安らぎは得られる。
ふたつ、堕ちることだ。
堕ちること、すなわち堕落することを向上と考える天才の道だ。
適応こそが生物の武器。思い込み、信仰さえあれば、死すらも快感になりうる。
堕落することこそが我が道と考えられるほどの強さがあれば、向上心の重力も引き裂いて、真の開放感を得られるのではないか。
向上心という病。多くの場合は外から求められるものだ。
純粋にもっとよくありたいと思える事のなんと少ないことか。
比較から生まれる評価。身長・体重・年収・容姿。
それに比べ純粋な好奇心。もっと見たい、もっと知りたい、沸き上がるワクワク。
好奇心が羽ならば、向上心とは鎖なのだ。
鎖を何に引っ掛けて僕たちは走らされているのだろうか。
いつから首輪を自ら付けてしまったのだろうか。
最初は草道を歩いて行ったのにいつの間にかアスファルトの道を歩き、信号で止まるようになった。
行く先を決めることを忘れ、決めたようで拒否されて劣等感の幼生が胸の内に巣食い始めた。
この寄生虫はきっと好奇心を食らい、言い訳を排泄するのだ。
自分で決めなければ、言い訳はこんなにも容易い。
気付けば希望を吐き、言い訳で縫い付けるペテン師が街に溢れた。
さて、向上心という名の鎖を紡ぎだした寄生虫よ。
一緒に死ぬまで走ろうか。
向上心に駆られて走る人を、蹴落とさないのが暗黙のルールだ。
拘束されつつ、走ることはとてもつらいから。人は怠けるのだ。
ならば、ふりをしよう。
ノリつつ、白けるのだ。
向上心をだませば、好奇心が芽吹き始める。
向上心に駆られたふりをして、実はその虫はもう死んでいる。
社会的な称賛や、地位などは欲しい振りをして、その実好奇心を優先させよう。
知らないものを知り、経験するためにお金を使い、経験を伝え喜びを分かち合うために仲間と生きるのだ。
高速道路を走り続ける人間とは友達になりたくない。
きっと虫に飼われた人間は、誰かを跳ね飛ばすから。
よくよく、下道に降りる人間と仲良くなりたい。
きっと乗りつつ白けてる人間は面白いのだから。
下道を走り続ける人間に僕はなりたくはない。
きっと向上心に殺される前に、生きる意味を疑ってしまうから。
そんなわけでハイウェイには乗るべきだ。
スピードと摩擦の間に、僕らの求める快感がきっとある。