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やっぱりキルケゴールが好きだけど

美的実存、倫理的実存、宗教的実存。

無責任に自由を求めるのにも飽きていて。

倫理的な使命感も満たされた人間は。

ついに無意識と向かい合い、夢の中で反芻を繰り返すことが至高と考えた。

物が与えてくれる幸福は一瞬で、人に分け与えようとする幸福もかみ合わなければ恨み申す。

ならば、小さな冷蔵庫とタンスと、リズムがあった時だけに幸福を分かち合えるようなリズムで、たった一人で神さまと向かい合う人生はなんて幸福なのだろう。

満たされすぎてはいけないけれども、他人のさじ加減で乾きや、飢えが発生する程度の感度計なら幼すぎる。

磨き上げ、磨き上げ、たった一人の信仰を守って生きることがスジだと最近感じるようになった。
貰えば嬉しいけれども欲が出る、与えれば満たされるけれども繋いだ首輪に振り回される。
ペットではない、随行者。随行者に空想の餌をやり続けなければ骨すらも残らない。
今も消えてしまいそうな何かにおびえてタイプする。
でも、必ずいると感じる。きっと死ぬまでこれは抱えて生きる。
ならば友好関係でいたいのだ。
幼い信仰はいまだに続いている。
それらが、私に影響することは、二度以上に体験しているからだ。
空想を物語へ、結晶化する技術は文字、絵、歌、何でもいいが、神にささげる供物のようにひたすらに続けるものだ。
でなければ、姿のない蛇に似た質量に似た何かが頭の中を這いずりまわる。
会話する。反芻する。想起する。
今やらねばならぬことは、教信者のように盲目であること。
自分の使命を生きることに、物語は紡がれる。
TVやネットや、それらは塗りつぶすものだ。
自己が無くなった世界では、無人島にぽつんと取り残されたような飢餓感を味わうことになる。
人と人の間に流れる生ぬるい雰囲気の水は、容易に腐る。
感情に毒されて、自然の心地よさを蝕んでいく。
物は、少ないほうがいい。
そして、自らの信仰は口に出さず、行動で持ってのみ表すものだ。
水に文字が書けないように、流れでしか私のリズムを理解できない。
影響を流し、早く、さらりと、とにかく受けない軽さと心地よさで、ニュースの話題を彼方へと押しやるのだ。
この世とは無縁の限られたスペースで、心地よく生きるための結界を張るように物を捨てていく。
影響を受けなければ生きられないほどに、実は私たちは弱くはない。
誰しものが関係性の中で生きているが、それは導線のように繋がれたものではなく、蚕の糸のように細く、切れず、きらきらとしているものであり、それを引っ張ったり、するものではない。
猫のひげを束ねて、それを力と呼ぶのだろうか。

糸から伝わる動的な力は、シナプスの電波のように微細なものだから、感じるには安らかでなくてはならない。
ただひたすらに自分からやりなさいよと言われたものだけを信じたい。
誰かから言われたことは、実は何の責任もないのだ
守る必要がない。関係性は大事だが、関係性にあなたを縛る力などこれっぽっちも無いのだから。
その神だと思っているものは、あなたをきっと想い続けない。
なぜならそれは他者だから。
しかし、自らの神は一秒も絶やさず、あなたの事しか考えておらず、あなたが唯一の関心ごとだ。
ならば、信仰すべきはいったい何なのか。それを考えるべきだ。

水は自ら道を作らない。
やる気なるものはなく、やることで一寸先が見えるのだ。


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