自分が何を好きなのか、を自分が知ったうえで人に知ってもらって繋がっていくことがソーシャル。
最近感銘を受けた考え。
ソーシャルって結局何?
と聞かれて「自主自立」だとか、「自分で考えて自分で行動することだ」とか答えてたけど、それって結果の話じゃないかと。
ソーシャルの根本は繋がることにあると思う。
ソーシャルは社会性だとか社会を指す言葉だ。
じゃあ、社会が何で成り立っているかといえば、つながりだ。
じゃあつながりって何から生れるの??
って考えれば関係性から生れる。
家族・友達・同僚、同じ環境下で自然発生的に生まれる関係性がのことをソーシャルというのだと思う。
同環境で過ごせば関係性が生まれるが、それが必ずしも好ましい関係とは限らない。
家族仲が悪いことや、職場でのトラブルもそれ故に発生する。
心地よい関係性を築くうえで欠かせないことが、自分が何が好きで、それを相手が理解しているかが重要なのだと感じる。
相手が何をしている時が好きで、何をされると嫌で、何をしたいと思っているのか。
発信と受け手の理解、需要と供給がマッチした時にソーシャルの強みが発揮されるのではないか。
なのでまずすべきことは個のポテンシャルの公表と公開。
これが好きです。これが嫌いです。
シングルタスクは得意ですけどマルチタスクは苦手です。
洗濯は好きだけれども、料理は苦手です。
それが分からない状態で。
料理してよ!あれとこれとあれしてよ!
と言われればパフォーマンスも下がる。
得意なことばっかりできないのがサラリーマンでしょ!
確かにそうなんだけれども、目指すべきものはウェルビーイング
ならば、幸福を追求した仕事でならなければいかんと思う。
ソーシャルと仕事の間に発生する齟齬はいわば、仕事と労働の間に発生しているのだと思う。
これは創業者の神林さんの考えにも当てはまる。
労働とは西洋文化の奴隷的考え方であって、我々がするべきは東洋的な仕事、事に仕える奉仕だ。
仕事が楽しいときは事に仕えている時だ。
企画を考えたり、写真を撮ったりするときはとても楽しい時間だ。
その時の仕事は苦ではないし、「労働時間」がネックになることさえある。
好きなことを明確にして、労働を削り、楽しく仕事をすることが私が目指す働き方だ。
だからこそ、業務効率化とソーシャルは両輪だと感じる。
労働的仕事の効率化とソーシャル的仕事の発展が必要なのだと感じる。