休日に一人自由に時を過ごす。
自由。
命を脅かされない自由。
それがやんわりと保証されている。
例外はある。
帰り道に通り魔に刺されるかもしれない。
大地震が起こり、屋根の下敷きになるかもしれない。
しかし、その手の不幸は想像できるからこその不幸であって、恒常的に頭を悩ませる問題ではない。
幸せだと感じる。
好きなことを、好きだと叫ぶことが出来るネット環境。
好きなものを、好きな時間に食べられるスーパー。
好きな映画を格安でレンタルできる店。
いらなくなったものを有償で処分することが出来るフリマアプリ。
時間を合わせれば会うことの出来る友人や彼女。
これ以上何を望むのだろうか。
おじさんに久しぶりに会った。
おじさんは末っ子で、僕も末っ子だ。
新年会でおじさんに「子供がいないなんて、あげてばっかりになっちゃうぞ」なんてよっぱらって絡む人がいた。
おじさんは結婚はしてるけど、子供はいない。
おじさんは気にした様子もなく「今まで散々もらってきたからなぁ。もういいですよ。」と笑っていた。
かっこいいな。と思った。
おじさんは会社の役員だから経済的に余裕がある。だからかもしれない。
でも少しも嫌味な感じもせず、満たされたからもう、良いです。なんてすんなりと透明な言葉を言えるのだ。
僕たちは意外にも満たされているのかもしれない。
息が出来て、自由で、お腹いっぱいになれて、ぐっすりと寝られるのに。
時に、悩み、苦しくなるのはきっと足りないと思い込むからかもしれない。
最新を追い求め、尊敬を欲っし、希望を目指す。
どれも目に見えないもので、輝いて見えるから僕たちは海底の底を蹴って空を目指す。
ばた足を止めても海底に戻るだけなのに、まるで死んでしまうような必死さでもがいて体中の酸素を消費してゆく。
「もう、いいですよ。」
体の力を抜いて、海底で寝そべっていても、空がお天気なら光は届く。
日光浴をするペンギンか、海底で昼寝をするアンコウか。
どちらが幸せかなんて、どっちも幸せに決まってるじゃないか。