「自分の邪魔をするのはいつも自分。
創作に限らず。いつもそうだ。」
リアルで書いてる話に感想を頂いた中に、「コントロール」という単語があり、はっとする。
話を書く時にコントロールをしている。ディテールを決めたり。
どこまでコントロールするか?
できればコントロールしたくない。
まぁまぁその辺りで凌ぎを削るのは、スリリングで面白い作業です。
話を作る時に絵なんか浮かばない、という人の話を聞いたことがあるんですが、残念ながら絵しか浮かばない方なので、
それを文章にする作業が発生します。
イメージと文の間に、何かがワンクッション入る。
このへんがカオスで。
レコードに針が落ちて音が鳴る瞬間みたいに、文として書ける状態になった時には、いろんなことが決まっている。
話の内容というより、雰囲気、持っている質感、ディテール。
イメージを話として書く角度が決まる。
それが一回だけそうじゃなかった時がある。
思いついたイメージを一度も咀嚼せずアウトプットしたら(眠くて忘れそうだったからメモった)、その話が頭から終わりまできっちり出来上がっていたせいで、書き方がわからなくなるという。
書けないところを背を押してもらい、書いたけど、違和感が拭えない。
まず、文量がおかしい。
メモの時は数枚だったのに、ノート1冊になってる。
メモにはほぼ全ての台詞と、場面が書いてあるのに。
何が起きたのか全然わからないのである。
これ以上、補足の必要なく全部書けてはいる。
ま、スーパーロボが何から出来ているのかは書き忘れた。
ずっと目の前に見えていたせいで、逆に忘れた。
これも普段しないミスである。
住んでいる家と、通っている学校の外観をきっちり説明しながら、遊びに行ったシンデレ◯城の姿を書かないとか。
そこが舞台じゃなかったんかーい。
そうした反省を含め、決めて書いてないようで、意外と話書く時ってコントロール効かせてんだな、と改めて実感したわけで。
ちゃんと絵を文章に落として書いてますよ。
(言ってみた)
書きにくさは、ブランクのせいや、苦手なジャンルだからかと思ったが、意識してコントロールしていたせいなのかもしれない。
能動的に書いていたけど、
もっと実際は、渾然としたイメージから、事実を拾い上げて行く作業のはずだ。
そして、先がきっちりわかっていると、この作業がつまらなくなる。魅力的でなくなる。(自己都合)
いっそ絵で描くかね、と思ってコンテ切ったら、48シーンでしょ。
(長いって)
好きに解釈していいはずなのに、正解が見出だせんのぅ。
もう書いたから、腹をくくるが。
頂いた手紙に
やはり遺跡の外観が気になります。
とあり、書いてないことがバレたと知る。
(気になってしまいましたかーあはははーあーあ)
ええ、もう、アレなんで、百聞は……絵描いて送ります。
(今更、字とか・・orz)
敗北。