ひとつ話を書き終わった後の、誰にも見せていない状態が好きです。
書けない書けないと言っていた背を押してくれた友人にひとつ書いたところ。
まだ報告してないし、読める状態でもなく、長い作業が待っています。
(入力、段組、校正、印刷を経て表紙付、待っていないであろう友へ送り付ける所存です)
書き終わって誤字脱字が修正され、形が整って行く間、ひとまずそれは100%自分のものです。
所有物という意味でなく、自分のイメージと感想しかないもの。誰の意見も入っていないもの。
この状態を保てるのは完成から人の目が通るまでの短い間。
文字になっていても、自分の中で輪郭は柔らかで。
それが人から感想を得て変容する体験をして来ました。
読まれると完成直後にあった姿をもう思い出せません。
自分の話ではなくなる、というか、第三者を通して話が形を得るというか。
自分の知らない側面を知る瞬間でもあり、一方で変わって行くイメージに喪失感を覚えます。ほんの一瞬。
本来は書いたイメージが読んだ人のイメージと同じになる所を目指していかなければならないのかなと思います。
そんな力がほしい、ほしい。
反面、そんなことできるかい。同じとかキモいわと。
できないことの消化先を考えたり。
感想を直接きかなくても変容するようで。読まれてしまったという事実がもうダメなのか。
友人には。
相変わらず感想とか聞けないでしょう。
読書感想文が苦手だったのに、人に求めるなんて酷だorz
面白いか面白くないかの2択でいいす。
自主企画には参加してます。(なんだよ)
腕を上げる努力はしないと。
「現在100%自分のだから言うが、恋愛ものを書いたつもりが、斜めになりました。まるで密室芸だよ、筆が止まるとホラーを書いてるつもりで書いたよ。現実感と動性がないこと両方を実現するためにそんな手をとってみたよ。ちなみにホラーは書けません。(心臓がもたん)
もし読む価値がありそうなら、声に出せるよう、脚本化します、よ」
さすがに手紙でここまで見栄は切れないか。なむなむ。
話の山場を書いてる辺りから「召喚術士と図書館の魔女」を書き始めました。(クライマックスからの逃亡)
手書きでないこと、連載、どちらも初めての試み。自筆じゃないから読みやすい。文量がひと目で把握できてバランスが取りやすい。(とってないが)
カクヨムで連載してみて、とみころさんに台詞を評価してもらって、後半シフトチェンジし(単純)、それに合わせて前半は入力しながら調整してます。削ったり、削ったり。
ガシガシ入力すること三日目となる今、とても参考になっています。
(ありがとうカクヨム、ありがとう露木さん)
ひー