「自己肯定感」というフレーズが昨今あちこちで見かけるようになった。書籍をはじめとして「自己肯定感を高める方法」というようなコーナーさえ作られるほどである。しかし、「自己肯定感」とはすなわち何なのかという疑問が残る。
先ず、「自己肯定感」というものの定義をするために対義語を考えてみようと思う。まあ、これは簡単なところで「自己否定感」としておこう。一般的な単語でいうとネガティブや卑屈、陰鬱……などといったものが挙げられるだろう。
自己肯定感が低い人の「自己否定感」とは一概にそれらに当てはまるとは言えない。むしろもっと根本的なものに迫るものであろう。
私はこの「自己否定」というのはおそらくではあるが「存在証明」そのものではないかと考えた。つまり、自分がここにいてもいいという認識から「自己肯定感」というものは生まれるのではないだろうか。世界、社会、人間関係などなど様々な要因からの疎外感を覚えると自分の存在意義が揺らいで「自己否定」につながるのではないだろうか。自分なんていてもいなくても変わらない、むしろ存在しない方がいい、自分がここにいることが許せない……などという思考回路になるんじゃないかな。
この問題というのは少なからず「他者依存」の傾向が多いように感じる。例えば、子供のころから「親」や「教師」などの大人から褒められるように動くことしか考えていなかった者なんかはこのキライがあるのではないだろうか。
つまり他者による「(役に立つ/都合の)いい子」という存在証明を受けていたといえるだろう。
なんかまとまらなくなってきたので、雑にまとめると、「自己肯定感」の低さはその人の性格とかじゃなくて存在証明の失敗によるものだからそう簡単に治りはしないよってこと。子供を育てるときは付きっ切りとか過保護だと社会に出た時に精神が死ぬので「可愛い子には旅をさせよ」を合言葉にほどよい距離感を保とうね。そこでたぶん自立の心が育つはず……っていう話。